吉元政矩
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吉元 政矩(よしもと まさのり、1936年11月 - )は、元沖縄県副知事、現在は沖縄21戦略フォーラム代表。
略歴
[編集]沖縄県八重山郡与那国町出身。沖縄県立八重山高等学校卒業後、石垣測候所(現石垣島地方気象台)に就職。その後沖縄県庁本庁に移り、沖縄県祖国復帰協議会事務局長、沖縄官公庁労働組合書記長、沖縄県職員労働組合副委員長、沖縄県企画調整部・企画調整室などを歴任。1990年12月に大田昌秀知事の下で政策調整監、1993年から副知事[1]。副知事在任中の福建・沖縄友好会館建設事業では、事業費増大を理由として担当者であった吉元を批判する意見があった[2]。
1997年10月17日に県議会に副知事再任を否決される形で退任する。1998年8月、沖縄県地方自治研究センター理事長に就任し、2000年9月から同センターの顧問を務める。
1998年第18回参議院議員通常選挙比例区に社民党から出馬し、落選する。2002年の沖縄県知事選挙に出馬するも落選(稲嶺惠一が20万票余りの差をつけて当選)。
脚注
[編集]- ^ “吉元政矩氏、知事選に事実上の出馬表明”. 琉球新報 (2002年9月12日). 2015年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月15日閲覧。
- ^ “福建・沖縄友好会館補正予算を可決”. 琉球新報 (1997年7月8日). 2013年3月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月15日閲覧。