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可児市立帷子小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
可児市立帷子小学校
地図北緯35度24分03秒 東経137度00分21秒 / 北緯35.4009度 東経137.00592度 / 35.4009; 137.00592座標: 北緯35度24分03秒 東経137度00分21秒 / 北緯35.4009度 東経137.00592度 / 35.4009; 137.00592
国公私立の別 公立学校
設置者 可児市
設立年月日 1873年
共学・別学 男女共学
学校コード B121221400035 ウィキデータを編集
所在地 509-0256
岐阜県可児市東帷子1047
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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可児市立帷子小学校(かにしりつ かたびらしょうがっこう)は岐阜県可児市にある公立小学校

概要

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  • 通学区域は西帷子、菅刈、東帷子の一部、長坂1-4丁目、緑、鳩吹台、虹ケ丘、帷子新町である。公立中学校の進学先は可児市立広陵中学校である[1]
  • 1970年代から周辺にニュータウンが開発されたこともあり、1979年には40学級(1603名)[2]のマンモス校となった。現在の児童数は500人弱である[要出典]

沿革

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  • 1873年(明治6年) - 石原村、茗荷村[注釈 1]、美濃田村、古瀬村、中切村[注釈 2]、菅刈村、塩村が共同で伝明義校を開校。中切村字中屋敷の民家を仮校舎とする。
  • 1877年(明治10年) - 塩村が伝明義校から離脱し、教童学校[注釈 3]に合流する。
  • 1878年(明治11年) - 菅刈村に分教場(菅刈学校)を設置。菅刈村、西帷子村の児童が通学する。
  • 1881年(明治13年) - 新築移転。帷子学校に改称する。
  • 1886年(明治19年) - 帷子尋常小学校に改称する。
  • 1889年(明治22年)7月1日 - 西帷子村、東帷子村、菅刈村が合併し、帷子村が発足。
  • 1893年(明治26年) - 中切字東洞に新築移転[注釈 4]。菅刈分教場を廃止。
  • 1894年(明治27年) - 帷子尋常高等小学校に改称する。
  • 1926年(大正15年) - 中切字東洞に新築移転。
  • 1941年(昭和16年) - 帷子国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年) - 帷子村立帷子小学校に改称する。
  • 1955年(昭和30年)2月1日 - 広見町今渡町土田村久々利村平牧村春里村帷子村が合併し可児町が発足。同じに可児町立帷子小学校に改称する。
  • 1958年(昭和33年) - 春里小学校との統合が計画されるが、翌年白紙撤回となる。
  • 1976年(昭和51年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成。周辺の開発により児童増加したため、新校舎、プレハブ仮校舎では収容しきれず、旧校舎(木造)も教室として使用し続ける。
  • 1980年(昭和55年) - 南帷子小学校を分離する。
  • 1982年(昭和57年)4月1日 - 市制施行して可児市となる。同時に可児市立帷子小学校に改称する。
  • 1984年(昭和59年) - 校舎増築。旧校舎解体。

脚注

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  1. ^ 可児市立小学校・中学校の一覧と通学区域について
  2. ^ 学校の沿革

注釈

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  1. ^ 石原村、茗荷村は1874年に合併し西帷子村。
  2. ^ 美濃田村、古瀬村、中切村は1874年に合併し東帷子村「帷子の歴史(可児市HP)」
  3. ^ 現・可児市立春里小学校の前身。
  4. ^ 現・東帷子947付近

関連項目

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外部リンク

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