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古閑 富次(こが ふうじ、生没年不詳)は、幕末の武士、肥後(熊本)藩士[1]。
慶応2年8月12日、薩摩藩の大山綱良(通称・格之助)と共に、高杉晋作と前原一誠(通称・彦太郎)に面し、三条実美の護衛に関する意向を質す際、功山寺挙兵が熊本藩に攻撃を仕掛け、誤解を生んだため、事情を言い弁解し、後に休憩を願われた[1]。
- ^ a b 『肥後藩国事史料. 巻7』侯爵細川家編纂所、1932年。
細川家編纂所 編『肥後藩国事史料. 巻7』1932年