古里泰隆
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基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 佐賀県武雄市 |
生年月日 | 1971年4月9日(53歳) |
身長 体重 |
182 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1989年 ドラフト4位 |
初出場 | 1991年4月9日 |
最終出場 | 1992年8月21日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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古里 泰隆(ふるさと やすたか、1971年4月9日 - )は、佐賀県武雄市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
経歴
[編集]福岡第一高時代は、2年次の1988年に1学年先輩の前田幸長、山之内健一らとともに夏の甲子園に出場。前田の後を受けリリーフ登板した。秋は県南部大会準優勝、3年夏は県大会初戦敗退。
1989年のプロ野球ドラフト会議にて阪神タイガースより4位で指名を受けて入団。契約金4000万円・年俸360万円(金額は推定)と決まった[1]。
プロ2年目の1991年にプロ初登板し、2勝をマークした。4年目の1993年はMLBのルーキーリーグ・ブリストル・タイガースに野球留学した。その後は、故障に泣き一軍登板は果たせず1997年限りで現役引退。
引退後は、中日ドラゴンズの打撃投手に転向した。ちなみに現役時代にマークした2勝はすべて中日戦だった。2002年に阪神に復帰し打撃投手を務め、2003年からはスコアラーを務めている。2019年シーズンは対巨人スコアラーを担当する[2]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1991 | 阪神 | 14 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | -- | .500 | 113 | 25.2 | 16 | 2 | 21 | 2 | 2 | 16 | 0 | 0 | 12 | 10 | 3.51 | 1.44 |
1992 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 19 | 3.0 | 6 | 1 | 3 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 5 | 3 | 9.00 | 3.00 | |
通算:2年 | 17 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | -- | .500 | 132 | 28.2 | 22 | 3 | 24 | 3 | 2 | 19 | 0 | 0 | 17 | 13 | 4.08 | 1.60 |
記録
[編集]- 初登板:1991年4月9日、対読売ジャイアンツ1回戦(阪神甲子園球場)、9回表に5番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:1991年4月16日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)、8回裏に正田耕三から
- 初勝利:1991年4月21日、対中日ドラゴンズ3回戦(阪神甲子園球場)、7回表1死に5番手で救援登板・完了、2回2/3を1失点
- 初先発登板:1991年5月21日、対横浜大洋ホエールズ5回戦(宇都宮清原球場)、4回1/3を3失点(自責点2)で敗戦投手
背番号
[編集]- 52 (1990年 - 1997年)
- 112 (1999年 - 2001年)
- 103 (2002年)
脚注
[編集]- ^ 毎日新聞東京版 1989年12月17日(朝刊)13版25面
- ^ 阪神 007シャッフルでライバル“丸裸” セ担当スコアラー全員変更
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 古里泰隆 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference (Register)