古林見宜
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古林 見宜(ふるばやし けんぎ、1579年(天正7年)- 1657年10月24日(明暦3年9月17日))は、江戸時代前期の医師[1]。名は道芥後に正温に改名[1][2]。号は桂庵又は寿仙坊[1][2]。
経歴・人物
[編集]播磨の飾磨(現在の兵庫県姫路市)生まれ[2]。赤松氏則の子孫と伝えられている[2]。名医であった祖父が明へ留学し[2]医学を修めたことがきっかけで若くして上洛し[2]、曲直瀬正純から学んだ[1][2]。主に朱丹渓や張仲景が提唱した新東洋医学を学ぶ[2]。
後に摂津の大坂で医療所を開設し[1][2]、同時期に嵯峨野で同門であった堀杏庵らと共に学舎を開設した[1][2]。見宜の門人は3000人ほど存在しており[2]、松下見林や養子でもある古林知足らがいる[1][2]。