反核日本の音楽家たち
反核日本の音楽家たち(はんかくにほんのおんがくかたち)は、1980年代に結成された、日本の音楽家を中心とした反核団体。「反核・日本の音楽家たち」とも表記される[1][2]。
概要
[編集]設立
[編集]1981年の米国の核実験や米軍艦船によるマグロ魚船の延縄切断事件など契機として、日本の音楽家から何か抗議しなければならない、という話題が持ち上がり、芥川也寸志を中心に池辺晋一郎、三枝成章、石井真木、野口久光などと音楽家ユニオン・音楽センターが集まり、「反核日本の音楽家たち」を立ち上げる相談が行われ、呼びかけ人となる音楽家たちへお願いの文章が送られた。この趣旨に賛同し呼びかけ人となった音楽家は66名で、事務局はうたごえ運動の音楽センターに置かれた。
呼びかけ人となった66人は1982年に「音楽家たち」からの呼びかけを全国の音楽家に送り、1000人を超える音楽家が加入した。日本歌手協会は総会を開き、会長ディック・ミネの提案で協会としての加入を決議した。1982年3月、設立総会が日本青年館で開かれ「反核日本の音楽家たち」が設立された。総会の開幕には、前橋汀子のバイオリン、加藤登紀子の歌、日本フィルハーモニーアンサンブルの演奏があり、総会では会則と「呼びかけ」会の運営委員が決議された。また、デザイナーの和田誠が作成して送り届けた会のマークも承認された。
第2回国連軍縮総会に向けた活動
[編集]1982年6月から7月にかけて、国連は第2回軍縮特別総会をニューヨークで開催、核兵器削減を議題とした。これに向けて「反核日本の音楽家たち」は代表を送り、ロサンゼルスのローズボール(9万人)とニュヨークのセントラル・パーク(100万人)で開催され、スティービー・ワンダー、マイケル・ジャクソン、ジョーン・バエズ、ピート・シーガーなどが参加したた米国側のコンサートでうたごえ合唱団も演奏した。また、ニューヨークのセント・ポール教会、セントパトリック教会で日本フィルハーモニー交響楽団、東京都交響楽団、新星日本交響楽団、うたごえ合唱団が「ノーモアヒロシマ」をテーマとしたコンサートを開催し、米国側からはメトロポリタン・オペラのソプラノ歌手マレッサ・スチアートが参加演奏した。ロサンゼルス演奏会には米国滞在中のディック・ミネが参加した。
コンサート反核日本の音楽家たち
[編集]1983年「コンサート反核日本の音楽家たち」が日比谷公会堂で3日間に渡って開催された。第1日目は「クラシック」、2日目は「ポピュラー」、3日目は「邦楽」と音楽の三つのジャンル毎に演奏された。公演は成功し、翌1984年も日比谷公会堂で開催された後、すみだトリフォニーホールに場所を移して10年ほど続けられた。これと並行して「反核日本の音楽家たち」のジャズやブラスなど各ジャンルのコンサートが開かれた。また、東京の各地域、大阪・名古屋・京都をはじめ会員の手によって全国的にコンサートが広がり、会員総数は1400人を超えた。
呼びかけ人となった人物
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脚注
[編集]- ^ 『芥川也寸志 : その芸術と行動』東京新聞出版局、1990年6月、95-100頁。ISBN 4-8083-0376-0。
- ^ 『“反核・日本の音楽家たち”ご案内』“反核・日本の音楽家たち”事務局、1985年3月。