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双川喜一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ふたがわ きいち

双川 喜一
生誕 1885年11月
明治18年
千葉県
死没 1966年7月12日
昭和41年
国籍 日本の旗 日本
出身校 明治大学本科英語法科
東京外国語学校夜学英語専修科
職業 警察官僚
明治大学専務理事,事務局長
流派 柴真楊流柔術
配偶者 双川加津
子供 双川喜文
双川兼吉
双川つる
補足
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双川 喜一(ふたがわ きいち、1885年明治18年)11月[1] - 1966年(昭和41年)7月12日[要出典])は、日本の警察官僚である。号は一真斎。

経歴

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千葉県出身[1][2]。双川兼吉の四男として生まれる[1]1908年(明治41年)、明治大学本科英語法科を卒業[1]。文官高等試験行政科試験に備えるために東京外国語学校夜学英語専修科にも通った[3]1912年(大正元年)11月、文官高等試験行政科試験に合格[2]農商務省に入省したが内務省に移り、1913年(大正2年)、愛知県警部に任官[2]

香川県警察部長[4]大分県警察部長[5]滋賀県警察部長新潟県警察部長を歴任した。1933年(昭和8年)7月31日、休職新潟県書記官を依願免本官となり退官した[6]

1938年(昭和13年)8月15日、明治大学専務理事となり、さらに同年10月1日には事務局長をも兼任した[7]

大分県警察部長の時、穐吉定次立浪部屋に紹介し双葉山定次の四股名を贈った。双葉山は「栴檀は双葉より芳し」から命名された。双川喜一の1字も含まれている[8]

双川喜一宛の柴真揚流柔術伝書

香川県の警察部長を務めている時、柴真揚流という柔術を渡邊豊から学び[9]、昭和2年(1927年)に免許皆伝を授かった[10]

親族

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  • 長男 双川喜文(弁護士・満州国司法官)[1][11]
  • 孫の双川文吾は、中曽根康弘の長女美智子と結婚した。

著作

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  • 警察ノ根本観念』松華堂書店、1925。
  • 実用普選法釈義』松華堂、1927年。
  • 『日本選挙制度の提唱 : 自由選択利益比例代表制度』明治大学出版部、1954年。

脚注

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  1. ^ a b c d e 人事興信録』第8版、フ87頁。
  2. ^ a b c 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』203頁。
  3. ^ 『日本選挙制度の提唱 : 自由選択利益比例代表制度』明治大学出版部、1954年 自序より
  4. ^ 『官報』第3701号、大正13年12月22日。
  5. ^ 『官報』第3922号、大正14年9月18日。
  6. ^ 『官報』第1975号、昭和8年8月1日。
  7. ^ 『明治大学百年史』 第四巻 通史編Ⅱ、263-265頁
  8. ^ 北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)15ページから17ページ
  9. ^ 『三木武吉太閤記 : 生きた政治史』重盛久治著 p26より
  10. ^ 柴真揚流天地人三巻 昭和二年発行 渡邊豊から双川喜一宛
  11. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、1086頁。

参考文献

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  • 重盛久治『三木武吉太閤記 : 生きた政治史』春陽堂、1956年、26頁。
  • 人事興信所編『人事興信録』第8版、1928年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 野球界社編『野球界』28 1938年 p233 双葉山を語る 双川喜一
  • 野球界社編『野球界』30 1940年 p50  私の双葉山論 双川喜一
  • 清水昭一『清水八郎句集』1938年 p32 明治大學と清水 双川喜一
  • 明治大学百年史編纂委員会 『明治大学百年史』 第四巻 通史編Ⅱ、学校法人明治大学、1994年