双川喜一
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ふたがわ きいち 双川 喜一 | |
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生誕 |
1885年11月 (明治18年) 千葉県 |
死没 |
1966年7月12日 (昭和41年) |
国籍 | 日本 |
出身校 |
明治大学本科英語法科 東京外国語学校夜学英語専修科 |
職業 |
警察官僚 明治大学専務理事,事務局長 |
流派 | 柴真楊流柔術 |
配偶者 | 双川加津 |
子供 | 双川喜文 |
親 |
双川兼吉 双川つる |
補足 | |
双川 喜一(ふたがわ きいち、1885年(明治18年)11月[1] - 1966年(昭和41年)7月12日[要出典])は、日本の警察官僚である。号は一真斎。
経歴
[編集]千葉県出身[1][2]。双川兼吉の四男として生まれる[1]。1908年(明治41年)、明治大学本科英語法科を卒業[1]。文官高等試験行政科試験に備えるために東京外国語学校夜学英語専修科にも通った[3]。1912年(大正元年)11月、文官高等試験行政科試験に合格[2]。農商務省に入省したが内務省に移り、1913年(大正2年)、愛知県警部に任官[2]。
香川県警察部長[4]、大分県警察部長[5]、滋賀県警察部長、新潟県警察部長を歴任した。1933年(昭和8年)7月31日、休職新潟県書記官を依願免本官となり退官した[6]。
1938年(昭和13年)8月15日、明治大学専務理事となり、さらに同年10月1日には事務局長をも兼任した[7]。
大分県警察部長の時、穐吉定次を立浪部屋に紹介し双葉山定次の四股名を贈った。双葉山は「栴檀は双葉より芳し」から命名された。双川喜一の1字も含まれている[8]。
香川県の警察部長を務めている時、柴真揚流という柔術を渡邊豊から学び[9]、昭和2年(1927年)に免許皆伝を授かった[10]。
親族
[編集]著作
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 『人事興信録』第8版、フ87頁。
- ^ a b c 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』203頁。
- ^ 『日本選挙制度の提唱 : 自由選択利益比例代表制度』明治大学出版部、1954年 自序より
- ^ 『官報』第3701号、大正13年12月22日。
- ^ 『官報』第3922号、大正14年9月18日。
- ^ 『官報』第1975号、昭和8年8月1日。
- ^ 『明治大学百年史』 第四巻 通史編Ⅱ、263-265頁
- ^ 北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)15ページから17ページ
- ^ 『三木武吉太閤記 : 生きた政治史』重盛久治著 p26より
- ^ 柴真揚流天地人三巻 昭和二年発行 渡邊豊から双川喜一宛
- ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、1086頁。