又吉康助
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又吉 康助(またよし こうすけ、1921年〈大正10年〉5月1日 - 2004年〈平成16年〉4月8日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。最終階級は陸軍大尉(大日本帝国陸軍)、陸将補(陸上自衛隊)。初代自衛隊沖縄地方連絡部長。
初代沖縄県知事屋良朝苗の教え子であり、沖縄返還の際に政府・自衛隊・沖縄県の交渉に関わった[1]。
経歴・人物
[編集]沖縄県読谷村生まれ。旧制沖縄県立第二中学校(現・沖縄県立那覇高等学校)では陸軍特攻隊の伊舎堂用久中佐と同窓[2]。1941年8月、陸軍士官学校卒業。歩兵第130連隊(高田)、仙台、得撫島守備を経て、独立混成第101旅団司令部付。
終戦後、知念高校教諭を務める。1955年、陸上自衛隊入隊。沖縄県の本土復帰に伴い、初代自衛隊沖縄地方連絡部長。1976年、退官。
2021年3月時点で桑江良逢と共に沖縄県生まれの二人の陸上自衛隊将官の一人[3]。
著作
[編集]- 『千尋の海 軍神・伊舎堂中佐の生涯』(1989年)
参考文献
[編集]- 小口晃平「沖縄返還以前の防衛庁・自衛隊と沖縄「保守」勢力 1968-1972」(法学研究52号、2022年)
脚注
[編集]- ^ 小口 2022
- ^ “死の間際も家族に会わず 沖縄戦、ふるさと石垣島から最初に出撃した特攻隊長 - 未来に残す 戦争の記憶 - Yahoo! JAPAN”. wararchive.yahoo.co.jp. 2023年8月6日閲覧。
- ^ “沖縄県出身の自衛官が増加 復帰後の通算9000人超す 「南西シフト」影響も | 「防人」の肖像 自衛隊沖縄移駐50年”. 沖縄タイムス+プラス (2023年8月12日). 2023年8月13日閲覧。