向井去来
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向井 去来(むかい きょらい、慶安4年(1651年)[1] - 宝永元年9月10日(1704年10月8日))は、江戸時代前期の俳諧師。蕉門十哲の一人。本名は兼時[1]、幼名は慶千代[1]、字は元淵[1]、通称は喜平次・平次郎[1]、別号に義焉子・落柿舎がある[1]。
儒医向井元升の二男として肥前国(今の長崎市興善町)に生まれる[1]。8歳で上京して武芸を修め、儒医の兄の縁で堂上家に仕えた[1]。24、5歳の頃に堂上家を辞してからは他家に仕官しなかった[1]。貞享元年(1684年)宝井其角と出会い、蕉門に入門する[1]。貞享3年(1687年)江戸で芭蕉と対面して親交を結び[1]、元禄4年(1691年)野沢凡兆と共に編集した蕉風の代表句集『猿蓑』を刊行した[1]。嵯峨野の落柿舎(らくししゃ)に住み、松尾芭蕉はここで『嵯峨日記』を執筆した。晩年には芭蕉の俳論をまとめた『去来抄』の草稿を残した[1]。
高潔で篤実な性格から、芭蕉をはじめとした俳人から親しまれ、「西国三十三ヶ国の俳諧奉行」とあだ名された[1][2]。
作品
[編集]- 『去来抄』
- 『旅寝論』
- 『伊勢紀行』
主な句
[編集]- 秋風や白木の弓に弦はらん
- 湖の水まさりけり五月雨
- をととひはあの山越つ花盛り
- 尾頭のこころもとなき海鼠哉
- 螢火や吹とばされて鳰の闇
- 鳶の羽も刷[3]ぬはつしぐれ
- 応々といへど敲くや雪の門
- 岩鼻やここにもひとり月の客