巖浄閣
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巖浄閣 | |
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秋の巖浄閣 | |
情報 | |
旧名称 | 富山県立農学校本館 |
設計者 | 藤井介之丞 |
管理運営 | 富山県 |
構造形式 | 木造、桟瓦葺 |
建築面積 | 333.3 m² |
階数 | 2階建て |
戸数 | 1棟 |
竣工 | 1903年(明治36年)4月 |
改築 |
1967年(昭和42年) 2005年(平成17年) |
所在地 |
〒939-1517 日本 富山県南砺市苗島453番地 |
座標 | 北緯36度35分19秒 東経136度55分45秒 / 北緯36.58861度 東経136.92917度座標: 北緯36度35分19秒 東経136度55分45秒 / 北緯36.58861度 東経136.92917度 |
文化財 |
重要文化財 (建造物) |
指定・登録等日 |
1997年(平成9年) 5月29日 |
巖浄閣(がんじょうかく)は、富山県南砺市苗島にある、学校建築。富山県立農学校(現在の富山県立南砺福野高等学校)の本館として建設された[1][2]。現在の敷地は南砺福野高等学校の校内である。1997年に国の重要文化財に指定された[3]。
概要
[編集]1903年に竣工[3]。設計と施工は砺波市出身の宮大工、藤井介之丞による[3]。農学校の建設は、資産家で県会議員も務めた島巌の遺志(自らの資産を学校建築のため県に寄付)によるものである[3][4]。
木造2階建てで和洋折衷の下見板張り(コロニアル様式)である[5]。
1968年8月に現在地に移転・修復された際に、当時の富山県知事だった吉田実によって島巌に由来する「巖浄閣」の名称がつけられた[5]。
沿革
[編集]- 1903年(明治36年)4月 富山県立農学校本館として建設。
- 1909年(明治42年) 皇太子(のちの大正天皇)の御座所となる[1]。
- 1913年(大正2年)ピンク色に塗りかえる。〈元は淡い緑色)[要出典]
- 1967年(昭和42年)現在の位置に移築(曳屋)。修復工事を行う[要出典]。
- 1968年(昭和43年)8月8日 県知事の吉田実を迎え、「巖浄閣」と命名される。
- 1987年(昭和62年) 「富山県の建築百選」に選定[要出典]。
- 1997年(平成9年)5月 国の重要文化財に指定。
- 2005年(平成17年)保存修理工事竣工[要出典]。
公開
[編集]平日は公開されており、富山県立南砺福野高等学校の事務室に依頼して見学が可能である[1]。内部には富山県農学校等に関する資料が保存展示されている[5]。