原賢一
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原 賢一(はら けんいち、1906年(明治39年)11月4日[1] - 1974年(昭和49年)[2])は、昭和期の政治家。長野県上伊那郡西箕輪村長、伊那市長。
来歴
[編集]長野県上伊那郡西箕輪村(現伊那市)生まれ[2]。旧制伊那中学(長野県伊那北高等学校)を経て[2]、1934年(昭和9年)東北帝国大学を卒業[1][2]。東筑摩郡入山部実業公民学校教諭に就任[2]。その後、渡満し炭鉱会社に勤めた[2]。
1945年(昭和20年)西箕輪村嘱託となり、戦後の農地問題に取り組む[2]。1951年(昭和26年)西箕輪村長に就任[1][2]。1955年(昭和30年)合併後の伊那市議会議員となり初代議長を務めた[1][2]。
1958年(昭和33年)4月、伊那市長選挙に当選し、1966年(昭和41年)4月まで2期務めた[1][2]。在任中は電子産業の誘致を図り、春近発電所や伊那市民会館、伊那中央総合病院の建設などにあたった[1]。また長野県農業議会会長を務め、農業行政の振興に尽力した[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
- 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。