原胤従
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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死没 | 慶長8年3月15日(1603年4月26日) |
別名 | 半左衛門、刑部 |
戒名 | 日止 |
墓所 | 本立寺(東京都八王子市) |
主君 | 武田信玄、勝頼、徳川家康 |
氏族 | 千葉氏族原氏 |
父母 | 原胤歳 |
妻 | 小宮山民部の娘 |
子 | 胤虎 |
原 胤従(はら たねより)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。甲州九口之道筋奉行、後に八王子千人同心9人の千人頭のうちの一家。
生涯
[編集]小弓城主原氏の家系であるという。武田信玄・勝頼の2代に仕える。槍衆の統率を担い、たびたび戦功をあげた。
天正10年(1582年)3月、織田信長・徳川家康連合軍による武田征伐で武田氏が滅亡すると、父と共に徳川家康に仕え、甲斐の旧領98貫文と同心衆を安堵された。(天正壬午起請文)。
天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いに従軍。この年に父胤歳が死去。天正18年(1590年)、関東移封後は北条氏照の残党対応のため、氏照旧領の八王子に移転、天正19年(1591年)に九戸政実の乱に際しては岩出山城まで出張するが、この時に配下の同心を増やされ、これが後に八王子千人同心の千人頭9家のうちの一家となった。
文禄元年(1592年)肥前名護屋城出張(文禄・慶長の役)に在陣。慶長3年(1598年)に隠居して家督を子の胤虎に譲った。
系譜
[編集]子孫は八王子千人同心千人頭として明治期まで存続。