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原田鶴吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原田 鶴吉
生誕 1892年4月1日
日本の旗 日本 佐賀県
死没 (1964-04-06) 1964年4月6日(72歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1913年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
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原田 鶴吉(はらだ つるきち、1892年明治25年)4月1日[1] - 1964年昭和39年)4月6日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功三級[2]

経歴

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1892年(明治25年)に佐賀県で生まれた[1]陸軍士官学校第25期卒業[3]1937年(昭和12年)3月に独立山砲兵第2連隊長(第10軍のち第11軍)に就任し[1][2]日中戦争に出動[1]南京攻略戦などで活躍した[1]1940年(昭和15年)3月9日陸軍砲兵大佐に進級し[2]9月5日陸軍野戦砲兵学校下士官候補者隊長に就任し[2]1941年(昭和16年)11月に陸軍野戦砲兵学校幹部候補生隊長に転じた[2]

1943年(昭和18年)3月に第23軍兵器部長(支那派遣軍)に就任し[2][3]、中国戦線に復帰[3]1944年(昭和19年)8月に陸軍少将に進級し[2]1945年(昭和20年)5月1日砲兵監部附となった[4]。同年5月23日に第8砲兵司令官(第1総軍第12方面軍第52軍)に就任し[1][3]本土決戦に備える中で終戦を迎えた[3]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 福川 2001, 601頁.
  2. ^ a b c d e f g 外山 1981, 343頁.
  3. ^ a b c d e 福川 2001, 602頁.
  4. ^ 第102号 昭和20年5月3日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120941300 
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」21頁。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026