原田鶴吉
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原田 鶴吉 | |
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生誕 |
1892年4月1日 日本 佐賀県 |
死没 | 1964年4月6日(72歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1913年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
原田 鶴吉(はらだ つるきち、1892年(明治25年)4月1日[1] - 1964年(昭和39年)4月6日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功三級[2]。
経歴
[編集]1892年(明治25年)に佐賀県で生まれた[1]。陸軍士官学校第25期卒業[3]。1937年(昭和12年)3月に独立山砲兵第2連隊長(第10軍のち第11軍)に就任し[1][2]、日中戦争に出動[1]。南京攻略戦などで活躍した[1]。1940年(昭和15年)3月9日に陸軍砲兵大佐に進級し[2]、9月5日に陸軍野戦砲兵学校下士官候補者隊長に就任し[2]、1941年(昭和16年)11月に陸軍野戦砲兵学校幹部候補生隊長に転じた[2]。
1943年(昭和18年)3月に第23軍兵器部長(支那派遣軍)に就任し[2][3]、中国戦線に復帰[3]。1944年(昭和19年)8月に陸軍少将に進級し[2]、1945年(昭和20年)5月1日に砲兵監部附となった[4]。同年5月23日に第8砲兵司令官(第1総軍・第12方面軍・第52軍)に就任し[1][3]、本土決戦に備える中で終戦を迎えた[3]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。