原田藤次郎
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原田 藤次郎(はらだ とうじろう、1874年(明治7年)10月21日[1] - 1948年(昭和23年)1月5日[2])は、明治時代後期から大正時代の政治家、銀行家。衆議院議員。
経歴
[編集]原田佐治郎の長男として[3]、青森県西津軽郡森田村(現・つがる市森田町)に生まれる[4][5]。農業を営む傍ら青森県農工銀行取締役を歴任する[3][4][5]。1920年(大正9年)第14回衆議院議員総選挙で青森県第4区から立憲政友会所属で出馬して当選し、2期務めた[5]。
在任中は五能線の五所川原以西の延伸に尽力し、1924年(大正13年)には陸奥森田駅まで列車が走るようになり、翌年には鰺ヶ沢まで、1934年(昭和9年)には深浦まで開通した[6]。1933年(昭和8年)から1946年(昭和21年)までは西津軽郡土淵堰、悪水路の両水利組合議員を務め、農業水利の改善に尽くした[6]。ほか、山田川や岩木川の改修、小戸六ダムの推進、湿地帯の開田などに貢献した[6]。
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ 衆議院『第四十三回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1920年、21頁。
- ^ 議会制度七十年史 衆議院議員名鑑 1962, p. 408.
- ^ a b 人事興信所 1928, ハ116頁.
- ^ a b 衆議院事務局 1920, 136頁.
- ^ a b c 衆議院事務局 1940, 371頁.
- ^ a b c d 東奥日報社 2002, 575頁.
参考文献
[編集]- 衆議院事務局 編『衆議院要覧 下巻』衆議院事務局、1920年 。
- 人事興信所『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 衆議院事務局 編『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年 。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。
- 東奥日報社 編『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。ISBN 4885610656。