原田源三郎
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原田 源三郎 | |
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生誕 |
1904年2月16日 日本 福岡県 |
死没 | 1995年11月2日(91歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 明治専門学校(現九州工業大学) |
主な業績 | 「原田式交流磁選機」の開発 |
主な受賞歴 |
紫綬褒章 勲四等旭日小綬章 経営者賞 |
プロジェクト:人物伝 |
原田 源三郎(はらだ げんざぶろう、1904年2月16日 - 1995年11月2日[1])は、日本の工学者、実業家。日本磁力選鉱の創業者。
人物
[編集]現在の福岡県北九州市出身。明治専門学校(現九州工業大学)工学部電気工学科卒業後、九州帝国大学(現九州大学)で冶金を専攻。大学卒業後は特殊合金、大倉鉱業、満州本渓湖特殊鋼等で鉄鉱石に関する研究活動に従事、原料鉱石等の処理技術を習得。さらに、昭和19年(1944年)原料処理に欠かせない「原田式交流磁選機」を開発。これらの業績により、戦後、八幡製鐵所の高炉ガス灰処理研究を製鐵所から依頼され、ガス灰処理技術での事業化の確信を得て、昭和24年(1949年)日本磁力選鉱を設立。原田式交流磁選機を使用した工場を八幡製鐵所構内に建設し、同年に操業を開始した。創業当初から、鉄資源のリサイクルに先駆的に取り組む。資源の再利用、再開発を企業活動の基本理念として、選鉱技術を開発し、その技術を駆使して鉄鋼スラグなどを処理し、省資源に大きく貢献して着実な業績を収め安定した経営を続けた。その功績は高く評価され、昭和33年(1958年)紫綬褒章、昭和49年(1974年)勲四等旭日小綬章を拝受。昭和57年(1982年)九州・山口経済貢献財団より第9回経営者賞受賞した。
平成7年(1995年)11月2日、肺炎のため死去(満91歳)[1]。翌年、生前の功績を称え、同氏の胸像が作られ、現在本社玄関ホールに置かれている。