原田ヒロシ
原田ヒロシ | |
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別名 | 本條宏、浅香光一[1] |
出身地 | 神奈川県横浜市鶴見区生麦[2] |
ジャンル | ロック、ポップス、ソウル、ブルース、演歌、歌謡曲、民謡 |
職業 | 歌手、俳優、三味線奏者、シンガーソングライター |
担当楽器 | 三味線・ギター |
レーベル | テイチク、ホリデージャパン |
原田ヒロシ(はらだ ひろし)は、日本の歌手、俳優、三味線奏者、シンガーソングライター。三味線では本條宏、大衆演劇では浅香光一の名を用いる。
経歴
[編集]3歳から毎年生麦水神宮祭のステージで歌声を披露、ベンチャーズの影響で小学5年生の時にエレキ・バンドを結成する[2]。
高校時代に横浜駅ビルCIALのビアガーデン「ホッペン」でバンド活動をし、のちに東神奈川のキャバレー「ミカド」に拠点を移す。ミカドのパフォーマー採用は難関だったため、オーディションに挑む際、アピールのために習わぬ三味線を演奏した[2]。
それを機に本格的に三味線・民謡を習い始め、入門から半年後には30人の弟子を持ち、最盛期には300人の弟子を抱えた[2]。奏者としては三橋美智也や赤坂小梅らと舞台で共演もしている[3]。
その後、音楽教員養成所で音楽理論や和声学など幅広く学び、卒業後に若手の弟子を募っていた本條秀太郎に師事し、本條宏を襲名する。1976年には文化庁の派遣で「アメリカ建国200年祭」や「リビア・アラブ共和国建国7年祭」など海外公演も多く経験する[2]。この時期、三味線のスタジオ・ミュージシャンとしても活動した[3]。
歌手への夢が捨てきれず、1980年に原田ヒロシとしてテイチクレコードから近田春夫プロデュースでオールディーズ風の自作曲『ロンリー・ガール』でデビューをする。その後は演歌、歌謡曲、ソウル、ブルースなどジャンルを問わずに幅広い活動を続けた。
のちに浅香光代に師事し、浅香光一を襲名。大衆演劇の役者としても活動を行う[2]。
エピソード
[編集]桑田佳祐は鎌倉学園高等学校の3年後輩にあたる。鎌倉学園生徒による音楽活動の土台を作ったのは自分であり、桑田は少なからず影響を受けていると豪語している[4]。
ディスコグラフィ
[編集]シングル
[編集]- ロンリーガール(1980年、テイチクレコード)
- はぐれ雲(1990年8月25日、ポリドール)
- 北国かぞえ唄(1992年6月25日、ポリドール)
- 北の潮鳴り(1993年5月26日、ポリドール)
- 港のセレナーデ(1994年6月25日、ポリドール)
- 人情酒場(2005年4月21日、ガウスエンタテインメント)
- 愛の「ひき潮」(2007年11月7日、徳間ジャパンコミュニケーションズ)
- 相馬恋しや(2010年8月18日、ホリデージャパン)
- 秋時雨/夢追いかけて(2013年8月21日、ホリデージャパン)
- 望郷津軽節(2018年9月26日、ホリデージャパン)
アルバム
[編集]- 原田ヒロシ流行歌倶楽部II〜ほほえみ花〜(1993年12月1日、ポリドール)
- 原田ヒロシ 流行歌考〜35th ANNIVERSARY〜(2015年4月22日、ホリデージャパン)
その他・参加作品
[編集]- 平沢進『時空の水』(1989年9月1日、ポリドール) - 「スケルトン・コースト公園」に参加。
- ふたりだけのクリスマス(1990年11月10日、ポリドール) - ポリドールが企画したクリスマスをテーマにしたオムニバスアルバム『White Album'90』に参加。6曲目。
テレビ
[編集]ラジオ
[編集]- ミュージックバード 「歌の交差点」
脚注
[編集]- ^ 原田ヒロシプロフィールホリデー・ジャパン
- ^ a b c d e f 横浜人図鑑 原田ヒロシJ:COM
- ^ a b はいから万歳―原田ヒロシ(1/4) - YouTube
- ^ はいから万歳―原田ヒロシ(3/4) - YouTube
外部リンク
[編集]- 原田ヒロシ プロフィールホリデー・ジャパン
- 原田ヒロシの部屋 (原田ヒロシの部屋-136171406446694) - Facebook