原泰一
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原 泰一(はら たいいち、1884年(明治17年)11月[1] - 1977年(昭和52年)7月23日[1])は、貴族院勅選議員、日本赤十字社副社長。救護法の大家であり、方面委員(現在の民生委員制度)を考案した。旧姓・大藪。
経歴
[編集]江戸南町奉行所与力・原胤昭の養子。岐阜県安八郡大藪の庄屋青木松三郎の長男として生まれる。1908年(明治41年)に慶應義塾大学理財科を卒業[1]後、三井銀行に入社[1]。1921年(大正10年)に米国留学[1]。
1923年(大正12年)に欧米を視察し[1]、1924年(大正13年)以降司法省事務嘱託、少年保護司、内務省社会局事務嘱託、保険調査会委員、中央社会事業委員会委員、軍事保護院専門委員等のほか、中央社会事業委員会理事、東京盲人会副会長、国際社会事業会議日本委員会常任理事等となり、社会保険制度調査会委員、日本赤十字社副社長となる[1]。1946年(昭和21年)3月22日に貴族院議員に勅選され[2]、同成会に所属し1947年(昭和22年)5月2日まで在任した[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。