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原泰一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原泰一

原 泰一(はら たいいち、1884年(明治17年)11月[1] - 1977年(昭和52年)7月23日[1])は、貴族院勅選議員日本赤十字社副社長。救護法の大家であり、方面委員(現在の民生委員制度)を考案した。旧姓・大藪。

経歴

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江戸南町奉行与力原胤昭の養子。岐阜県安八郡大藪の庄屋青木松三郎の長男として生まれる。1908年(明治41年)に慶應義塾大学理財科を卒業[1]後、三井銀行に入社[1]1921年(大正10年)に米国留学[1]

1923年(大正12年)に欧米を視察し[1]1924年(大正13年)以降司法省事務嘱託、少年保護司、内務省社会局事務嘱託、保険調査会委員、中央社会事業委員会委員、軍事保護院専門委員等のほか、中央社会事業委員会理事、東京盲人会副会長、国際社会事業会議日本委員会常任理事等となり、社会保険制度調査会委員、日本赤十字社副社長となる[1]1946年(昭和21年)3月22日に貴族院議員に勅選され[2]同成会に所属し1947年(昭和22年)5月2日まで在任した[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』154頁。
  2. ^ 『官報』第5757号、昭和21年3月26日。

参考文献

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  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。