原昌弘
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原 昌弘(はら まさひろ、天文23年(1554年)[1] - 元亀3年12月23日(1573年1月26日)[1])は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣。宗一郎[1]。兄弟に原昌栄がいる。
武田信玄の重臣で陣馬奉行であった原昌胤(隼人佑)の次男として生まれる[1]。『南行雑録』によれば、元亀3年(1572年)の三方ヶ原の戦いにおいて戦死する[1]。
『南行雑録』によれば、天正元年(1573年)9月7日には父の昌胤が高野山成慶院に日牌供養を行っている[1]。『武田御日坏帳二番』によれば法名は「春院宗華禅定門」[1]。