原徳安
原 徳安(はら のりやす 1931年 - )は、日本の自治官僚。長野県出身[1]。
略歴
[編集]1950年(昭和25年)長野県松本県ヶ丘高等学校を卒業[1]、1954年(昭和29年)東京大学法学部を卒業。同年、自治省(現総務省)入省[1]。以降、自治省から消防庁消防課長[2]、香川県企画部長を経て[3]、大阪府総務部長を務めた[4]。
人物
[編集]原の名前は、第65回通常国会「決算委員会」の中で二宮文造議員の都道府県主要ポストが中央省庁出身者で占められているという指摘の中で登場する。 一例として、香川県の主要ポストが自治省出身派閥で占められ、権力関係が出来上がっているというものであり、原は当時自治省から香川県に出向し企画部長の職にあった[3]。
消防庁消防課長時代には、第75回通常国会「災害対策特別委員会」での兒玉末男議員の質疑に対し説明員として答弁している。 消防車のような公共性の非常に高い特殊車両に対しても、自動車重量税が一律掛けられている事に対して減免を求めたものである。 原は、消防車両にかかる税の現状を説明の後「現在の重量税の体系が緊急のものあるいは公共性の非常に高いものにつきましても一律に課税をするというたてまえになっておりますので、 そういう面で例外的な取り扱いが非常に困難だと考えておるわけでございますけれども、今後の研究課題といたしまして十分検討してまいりたいと考えております。」と答弁している[2]。
原が大阪府総務部長の職にあった1978年(昭和53年)当時、大阪府は赤字地方自治体の一つであった。第84回通常国会「地方行政委員会」では、山本悌二議員が「大阪府職員互助会」に福利厚生費の名目で年間七千万円に余る補助金を拠出していることを問題とし、答弁を求めている。 因みに大阪府の赤字は、橋下徹氏が大阪府知事就任後の2009年度一般会計当初予算案で11年ぶりに一時的に黒字に転じている [5]。
彼は日本の地方自治において重要な役割を果たしてきた人物である。彼の経歴は、自治省や消防庁などの中央省庁での経験を背景に、地方自治体の運営に関する知識と実績を蓄積してきた。特に消防庁では、災害対策における重要性を認識し、公共性の高い特殊車両に対する自動車重量税の課題について真摯に取り組んだ。
また、大阪府総務部長としての時期には、赤字地方自治体としての財政問題に直面し、福利厚生費の管理や補助金の使途に対する監視を強化する必要があった。これにより、地方自治体の健全な財政運営や住民サービスの向上を目指す努力を行ったと考えられる。
さらに、原の議論は単なる財政的側面にとどまらず、地域社会のニーズに応えるための政策形成にも寄与しており、災害対策や公共サービスの改善を通じて地域住民の安全と生活の質を向上させることに重点を置いていたと言える。彼の取り組みは、地方自治の重要性を再認識させるものであり、今後の地方行政においても参考にされるべき事例が多いと考えられる。
参考文献・脚注
[編集]- ^ a b c 長野県松本県ヶ丘高校同窓会 松本二中22回高校2回卒業
- ^ a b 衆議院会議録情報 第75回国会 災害対策特別委員会 第7号
- ^ a b 衆議院会議録情報 第65回国会 決算委員会 第3号
- ^ 衆議院会議録情報 第84回国会 地方行政委員会 第16号
- ^ 大阪府/財政状況の概要大阪府では、平成8年以降、財政再建団体転落回避を最大の課題として、全国的にも厳しい行財政改革をすすめてきました。しかし、歳出が歳入を上回るという恒常的な赤字構造を根本的に解決するには至らず、減債基金からの借入れや借換債の増発に頼る財政運営を続けてきました。 平成20年度には、こうした将来に負担を先送りする手法と決別し、「収入の範囲内で予算を組む」、将来的にも財政健全化団体にならないことを目標として財政再建プログラム案を策定し、すべての事務事業、出資法人、公の施設をゼロベースで総点検・見直すとともに、全職員の人件費カットや歳入の確保にも取り組むこととしました。こうした取組みなどにより、平成20年度2月補正予算においては、平成9年度以来11年ぶりに赤字を解消することができました。