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原後山治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

原後 山治(はらご さんじ、1926年大正15年)1月1日[1] - 2008年平成20年)8月25日)は、日本弁護士

人物

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1926年和歌山県生まれ。1951年昭和26年)東京大学法学部政治学科を卒業。1973年(昭和48年)から日本弁護士連合会理事。1981年(昭和56年)から1987年(昭和62年)まで同連合会の法廷委員会委員長を務めた。

在日韓国人司法修習生採用をめぐる問題で弁護団長を務め、外国籍の人に門戸を開いた。このほか、法廷傍聴人のメモをめぐり「知る権利」が争われた訴訟、法廷外での弁護士仲裁制度の創設などに尽力した。

2008年8月25日、肺炎のため死去[1]

著書

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  • 「任意法曹団体-その理念と現実」大野正雄編 『講座現代の弁護士 第2巻』 日本評論社、1970年。(馬場英彦との共著)
  • 「仲裁は楽しい-第二東京弁護士会仲裁センターの事例に思う」第二東京弁護士会編『弁護士会仲裁の現状と展望』 判例タイムズ社、1997年。

脚注

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  1. ^ a b 『現代物故者事典2006~2008』(日外アソシエーツ、2009年)p.522

外部リンク

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