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原嵩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原 嵩
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県龍ケ崎市
生年月日 (1997-12-06) 1997年12月6日(27歳)
身長
体重
183 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2015年 ドラフト5位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

原 嵩(はら しゅう、1997年12月6日 - )は、茨城県龍ケ崎市出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

経歴

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プロ入り前

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龍ケ崎市立松葉小学校、龍ケ崎市立長山中学校卒業。中学生時代は竜ケ崎シニアに所属。

専修大学松戸高校に入学すると、1年春からベンチ入りを果たすなど早い時期から頭角を現し、1年秋の新チームから背番号1を背負う。投手のほか外野手としても起用され、投打の双方でチームの中心を担った。2年夏は千葉大会決勝で東海大望洋高校に敗戦。3年夏は4番投手としてチームを牽引し、千葉大会決勝の習志野高校戦では満塁ランニング本塁打を打ち、チームを初の甲子園出場に導いた。甲子園1回戦の花巻東高校戦は5回途中で4点を失い降板し、試合も敗戦した[1]。チームメイトに渡邉大樹がいた。

2015年10月22日のドラフト会議千葉ロッテマリーンズから5位指名を受け、11月17日に契約金3000万円、年俸500万円で契約した(金額は推定)[2]。背番号は56。専大松戸高からのプロ野球入団者は安藤正則専修大学進学後の指名)、上沢直之に次いで3人目となった。

プロ入り後

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2016年は一軍登板はなし。二軍では8試合に登板し1勝4敗、防御率は4.05だった。

2017年も一軍での登板はなかった。二軍では13試合に登板し0勝4敗、防御率は8.36と前年から大きく成績を落としてしまった。11月10日、右肩鏡視下手術、および右肘神経移行術を受けた[3]

2018年は前年の手術によるリハビリのため一軍・二軍ともに登板がなかった。

2019年、3月8日の専修大学での練習試合で実戦復帰し、4月4日の東京ヤクルトスワローズ戦では復帰後初めて二軍戦に登板した[4]。この年は一軍登板はなかったが、二軍では20試合に登板し3勝3敗、防御率3.67だった。

2020年11月26日、翌年の支配下選手契約を結ばないことが通達され[5]、12月2日の自由契約選手公示を経て、12月21日に育成選手契約を結んだ[6]

2021年10月27日、戦力外通告を受けた[7]。 現在は軟式野球でプレーしている。

詳細情報

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年度別投手成績

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  • 一軍公式戦出場なし

背番号

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  • 56(2016年 - 2020年)
  • 126(2021年)

登場曲

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ ロッテドラ5原は尾上松也似 1、3位とイケメントリオ結成だ”. スポーツニッポン (2015年11月18日). 2021年4月30日閲覧。
  2. ^ ロッテ5位の原嵩が契約「楽しみでしようがない」”. 日刊スポーツ (2015年11月17日). 2015年12月9日閲覧。
  3. ^ 原投手の手術について”. 千葉ロッテマリーンズ (2017年11月11日). 2020年4月27日閲覧。
  4. ^ ロッテ・原、後半戦はファームで安定した投球「結果を求めるようになった」”. BASEBALL KING (2019年10月4日). 2020年4月27日閲覧。
  5. ^ ロッテ原と支配下結ばず 育成2選手ら再度育成へ”. 日刊スポーツ (2020年11月26日). 2021年10月28日閲覧。
  6. ^ ロッテ原が育成契約 恩師・持丸監督に背中押され”. 日刊スポーツ (2020年12月21日). 2021年10月28日閲覧。
  7. ^ ロッテ育成の原嵩投手に戦力外通告 今後は未定”. 日刊スポーツ (2021年10月27日). 2021年10月28日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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