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原岡永江

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

原岡 永江(はらおか ながえ[1]1873年明治6年)2月18日[2][3] - 1945年昭和20年)4月11日[1][4])は、日本の実業家政治家衆議院議員(当選1回)[1]。族籍は香川県平民[2]

経歴

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香川県出身[4]農業を営む[1][2]香川県会議員、同参事会員、富熊村農業会長、宇多津塩田社長となる[4]

1908年第10回衆議院議員総選挙において山口県郡部から立憲政友会公認で立候補して当選する[5]。衆議院議員は1期務め、1912年第11回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1945年4月11日に死去した[1]

人物

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住所は香川県綾歌郡富熊村[2](現・丸亀市綾歌町富熊)。

家族・親族

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原岡家
  • 妻・ヤスエ1874年 - ?、香川、岡内太三郎の四女)[2]
  • 長女・静枝1891年 - ?、香川、塩田忠左衛門の妻)[6]
親戚

脚注

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  1. ^ a b c d e 『議会制度七十年史 第11』はの部407頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年7月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e 『人事興信録 第3版』は47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年7月25日閲覧。
  3. ^ 衆議院『第二十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1908年、24頁。
  4. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』524頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』50頁。
  6. ^ a b 『人事興信録 第13版 上』シ13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月29日閲覧。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903 - 1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。