原子力平和利用博覧会
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原子力平和利用博覧会(げんしりょくへいわりようはくらんかい)は、1955年から1957年にかけて日本各地で開催された、平和のための原子力を主題とする博覧会である。1953年に発足した対外宣伝機関アメリカ合衆国情報局(United States Information Agency ; USIA、USISはその下部機関)と、読売新聞社など各地の新聞社とが共催し、延べ約260万人が来場した[1]
[2][3]。
名称 | 会期 | 会場 | 来場者数 | 共催 | |
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1 | 原子力平和利用博覧会[4] | 1955年11月1日-11月22日[4] | 東京都千代田区、日比谷公園[3] | 36万人 | 読売新聞社[3] |
2 | 原子力平和利用博覧会[5] | 1956年1月1日から24日間[3] | 名古屋市、愛知県美術館[3] | 37万人[5] | 中部日本新聞社[3] |
3 | 原子力平和利用博覧会[6] | 1956年2月1日-3月4日[6] | 京都市、京都市美術館 | 15万人[6] | 朝日新聞大阪本社[3] |
4 | 原子力平和利用博覧会[7] | 1956年3月25日-5月6日[7] | 大阪市、大阪アサヒアリーナ | 18万人[7] | 朝日新聞大阪本社[3] |
5 | 1956年5月27日-6月17日 | 広島市、広島平和記念資料館[3] | 11万人[8] | 中国新聞社[3] | |
6 | 1956年7月6日-7月29日 | 福岡市、福岡スポーツセンター | 16万人 | 西日本新聞社 | |
7 | 1956年8月26日-9月17日 | 札幌市、中島スポーツセンター | 21万人 | 北海道新聞社 | |
8 | 1956年10月14日-11月11日 | 仙台市、仙台市レジャーセンター | 17万人 | 河北新報社[3] | |
9 | 原子力平和利用茨城博覧会[9] | 1956年12月15日[9]-2月5日 | 茨城県水戸市、水戸総合体育館 | 23万人[9] | いはらき新聞社 |
10 | 北陸三県合同原子力平和利用大博覧会[2] | 1957年6月15日から65日間[2] | 富山県高岡市、高岡古城公園[2] | 約30万人[2] |
脚注
[編集]- ^ 有馬哲夫『原発・正力・CIA』、第4章 原子力平和利用博覧会で世論を変えよ、新潮新書、2008年、『原発と原爆』第一章 広島に原発を建設?文春新書、2012年
- ^ a b c d e 太田昌克 (2011年10月19日). “対日世論工作 米機関が反核封じ込め 平和利用に冷戦の影”. 47NEWS. 2015年3月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 中日新聞社会部編『日米同盟と原発 隠された核の戦後史』東京新聞、2013年11月18日、pp.96-99
- ^ a b 原子力平和利用博覧会(東京) 乃村工藝社博覧会資料COLLECTION
- ^ a b 原子力平和利用博覧会(名古屋) 乃村工藝社博覧会資料COLLECTION
- ^ a b c 原子力平和利用博覧会(京都) 乃村工藝社博覧会資料COLLECTION
- ^ a b c 原子力平和利用博覧会(大阪) 乃村工藝社博覧会資料COLLECTION
- ^ 「ヒロシマ 爆心地の原子力平和利用博覧会」 『ETV特集』、日本放送協会、2014年10月18日放送
- ^ a b c 日本原子力研究所建設 原子力平和利用茨城博覧会 乃村工藝社博覧会資料COLLECTION