印旛沼の怪獣
印旛沼の怪獣(いんばぬまのかいじゅう)とは、江戸時代の1843年(天保14年)に今の千葉県北部である下総国の印旛沼に出現した正体不明の存在。不思議な力を発して江戸幕府の役人13人またはそれ以上を瞬殺した[注 1]。別名には印旛沼主(読み不詳)[注 2]、印旛沼出現怪獣(いんばぬましゅつげんかいじゅう)、印旛沼堀割筋出現怪獣(いんばぬまほりわりすじしゅつげんかいじゅう)などがある。
伝承
[編集]江戸時代当時の印旛沼では、印旛沼干拓事業の一環として、幕府により、沼と利根川とをつなぐ水路開削工事(堀割工事)が行われていた。
怪獣事件を伝える記録は、当時の工事役人が天保14年9月2日(西暦:1843年9月25日)付で提出した報告書として残されている[1]。
これによれば、印旛沼にて工事中、「弁天山」付近の底無し沼から濁り水が噴出する現象が発生した[注 3]。役人らが監視していたところ、突然、暴風雨が起こり、この怪獣が出現した。怪獣は、体長1丈6尺(約4.8メートル)で全身が黒く、鼻の低い猿のような顔つきで、1尺(30センチメートル)もある爪を持っていた。
怪獣は、しばらく大きな岩の上に腰掛けていたが、突然、雷のような轟音を立てると、監視中の役人13人(またはそれ以上)が即死してしまい、生還した者達も重病になったという。その後の行方は不明だが、日本に出現した幻獣類のなかでも極めて凶悪な部類とされている[2]。
山口敏太郎によれば、役人が大勢殺害される描写などから、幕府の印旛沼干拓に対する批判や皮肉を込めて、地元住民が創作した目撃談ではないかという[3]。
千葉県八千代市の八千代市立郷土博物館では、2020年(令和2年)の展示でこの怪獣(印旛沼出現怪獣・印旛沼堀割筋出現怪獣とも表記)の立体模型を造り展示している[4][5]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 八千代市立郷土博物館の展示解説では、家来2人と従者12~13人が即死し、生還した3人も重病になったとされている。
- ^ 『密説風聞書』の記述による。
- ^ 八千代市立郷土博物館の展示解説では、史料に弁天山とそこに存在した弁天堂が記載されているが、被害者の1人である黒田甲斐守の担当した地域は5キロメートルほど離れた検見川付近であるため、厳密な事件現場の特定は困難であるとしている。
出典
[編集]- ^ 川崎市市民ミュージアム(2004年)58ページ
- ^ 川崎市市民ミュージアム(2004年)56ページ
- ^ “【101】目撃者多数死亡!? 凶暴な「印旛沼の怪獣」”. 東スポWeb. 山口敏太郎 (2015年5月8日). 2021年3月23日閲覧。
- ^ “『10月報道資料・令和2年度第1回企画展「水に挑む―古川から新川へ―」を開催(PDFファイル)』”. 八千代市役所 (2020年10月3日). 2022年2月2日閲覧。
- ^ “新川の歴史、絵図で学ぶ。八千代の郷土博物館で企画展、23日まで。”. 東京新聞. (2020年11月12日) 2022年2月2日閲覧。
参考資料
[編集]- 湯本豪一・高橋典子『日本の幻獣-未確認生物出現録-』川崎市市民ミュージアム 2004年(平成16年)7月1日
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]“日本の幻獣-未確認生物出現録-(川崎市市民ミュージアム)”. インターネットミュージアム. 2021年3月21日閲覧。