占部雄貞
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占部 雄貞(うらべ の おさだ、弘仁2年(811年) - 天安2年4月10日(858年5月26日))は、平安時代初期の人物。姓は宿禰。神祇権少副・壹伎氏成の子とする系図がある。官位は外従五位下・宮主。
経歴
[編集]壱岐卜部氏は神代より亀卜に携わったとされるが、雄貞は兄弟の中で最も亀卜の術に優れた[1]。仁明朝で宮主に任ぜられ、嘉祥3年(850年)文徳天皇の即位に伴い大宮主に任ぜられた。また、同年9月には八十島祭のために摂津国難波津へ遣わされている[2]。斉衡2年(855年)外従五位下に叙せられ、斉衡3年(856年)には一族の神祇少祐・卜部業基らとともに占部宿禰姓に改姓している。
天安2年(858年)4月10日卒去。享年48。最終官位は宮主外従五位下。
人物
[編集]酒を好んだが、酒色に耽って荒んだ生活を送るようになり、死去したという[1]。
官歴
[編集]『日本文徳天皇実録』による。
- 時期不詳:正六位下。宮主
- 嘉祥3年(850年) 3月19日:大宮主
- 時期不詳:正六位上
- 斉衡2年(855年) 正月7日:外従五位下
- 斉衡3年(856年) 9月10日:卜部から占部宿禰に改姓
- 天安2年(858年) 4月10日:卒去(宮主外従五位下)
系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本文徳天皇実録』