卞鍾捧
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卞 鍾捧(ピョン・ジョンボン、朝鮮語: 변종봉、1919年1月22日 - 2000年6月19日)は、日本統治時代の朝鮮の銀行員、大韓民国の外交官、政治家。第6代韓国国会議員[1]。本貫は草渓卞氏[2]。
経歴
[編集]日本統治時代の慶尚南道陜川郡出身。釜山第2産業学校(現・開成高等学校)、横浜専門学校(現・神奈川大学)経済科卒。朝鮮殖産銀行調査部責任者を13年間務めたほか、外務部交易課長[3]、駐日代表部大阪出張所長、忠州肥料工場次長、民主共和党慶南第9地区党委員長、国際連合総会韓国代表などを歴任した。1963年の第6代総選挙に山清・陜川選挙区から民主共和党所属で出馬して当選し、国会においては外務委員長を務めた[1]。1966年には学校法人槿花学院を設立して理事長を務めた[3]。
2000年6月19日午後7時ごろに江北三星病院で持病により死去、享年81[3]。
脚注
[編集]- ^ a b “대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2024年3月8日閲覧。
- ^ “(142)초계 변씨(草溪卞氏)-49,506명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2015年2月19日). 2024年3月8日閲覧。
- ^ a b c “헌정회 회원 변종봉씨 별세” (朝鮮語). 조선일보 (2000年6月20日). 2024年3月8日閲覧。