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南里有隣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

南里 有隣(なんり ゆうりん、1812年 文化9年 -(1864年 元治元年)は、江戸時代後期の国学者 。号は松門。現在の佐賀県佐賀市東田代町の 鍋島藩士の家に生れた。江戸で塙塾に入り国学を学んだ。二十七歳の頃帰藩、藩学弘道館の皇学寮が和学寮と称した際二十九歳で教授となり、藩侯鍋島閑叟公の姫に和歌を教えた。私塾の本教館でも神道を講じ和歌を教え、五十三歳で歿した[1] [2] [3] [4]

著作

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  • 『日本書紀神代巻註』
  • 『湯津爪櫛』
  • 『日本紀神代訓義』
  • 『神代書紀類説』
  • 『神秘書』
  • 『神理十要』[5]
  • 『真教十要』[6]
  • 『真教十要』
  • 『神伝広意』
  • 『設奨録』
  • 『真教概論』[7]
  • 『大祓詞余考』
  • 『古史伝抄』
  • 『うつしみ』(神道講義の草稿の断片)

出典

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  1. ^ 「南里有鄰の神道思想」村岡典嗣 、『日本思想史研究』315頁、岡書院、1930年、[1] (参照 2024-08-03) 国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ 「鈴木雅之と南里有隣」村岡典嗣、『日本思想史研究』第1巻 (神道史)161頁、創文社、1956年、[2] (参照 2024-08-03) 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ 「南里有隣『神理十要』におけるキリスト教の影響--『天道溯原』との関連」前田勉、『江戸後期の思想空間』415-417頁、ぺりかん社 、2009年、ISBN 978-4-8315-1224-6
  4. ^ 三ツ松誠「南里有隣研究の回顧と展望」『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』第9巻、佐賀大学地域学歴史文化研究センター、2015年3月、45-52頁、CRID 1050005987756189184ISSN 18819044 
  5. ^ 前田勉「南里有隣『神理十要』におけるキリスト教の影響 ―『天道溯原』との関連―」『愛知教育大学研究報告. 人文・社会科学』第57巻、愛知教育大学、2008年3月、83-92頁、CRID 1050564288388183296hdl:10424/135ISSN 1341-4615 
  6. ^ 片岡龍「南里有隣『真教十要』解説と翻刻」『日本思想史研究』第44号、東北大学大学院文学研究科 日本思想史学研究室、2012年3月、86-94頁、CRID 1050001202730709120hdl:10097/56517ISSN 0386-8974 
  7. ^ 『真教概論』南里有隣、復刻、『日本思想史研究』附録、岡書院、1930年(昭和5年)、[3] (参照 2024-08-03) 国立国会図書館デジタルコレクション

関連項目

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