南極ゴジラ
南極ゴジラ(なんきょくゴジラ)は、1958年(昭和33年)に日本の南極観測船「宗谷[注釈 1]」の船長と乗組員が南極近海で目撃したとされる大型の未確認動物[1]。東宝映画に登場する怪獣「ゴジラ」にちなみ、「宗谷」の船長である松本満次が著書で「南極のゴジラ」と記したのが初で、以後は「南極ゴジラ」として知られるようになった[1]。
目撃
[編集]南極ゴジラが目撃されたのは、第2次観測中の「宗谷」が氷海内で「バートン・アイランド」の後方を航行していた2月13日のことである[1]。時間は19時頃であったが、当時の南極はまだ晩夏にして白夜の状況であり、視界は良好であった。船橋には船長・航海士・機関長・操舵手らがいた。最初は、宗谷の前方300メートルくらいの所に黒い物体が見え、先を行く「バートン・アイランド」の投棄したドラム缶かとも思われた。しかし、さらによく観察すると、それは動物であって顔を「宗谷」の方に向け、目や尖った耳、全体を覆う焦茶色の毛が判別できた。船長によれば、前から見た顔は牛のようで[1]、頭の長さは70 - 80センチメートル程度[注釈 2]もあったというから、かなり大きな動物と考えられるが、海面に浮いていたため、全体の形や大きさはわからない。別の方向から見た乗組員によれば、背中にノコギリの刃のようなヒレがあったとの話である。それは30秒間くらい見えていたが、機関長が写真を撮影しようとカメラを取りに行っている間に[注釈 3]氷海に潜って見えなくなっていたため、撮影はできなかった[3]。
目撃例はこの1回だけで、映像資料もない。当時の「宗谷」の船長であった松本が自著『南極輸送記』[3]でこの事件を記述しているのが唯一の資料といえるが、怪獣の目撃ということから話題を呼び、ゴジラシリーズの特殊技術を手がけた円谷英二も監修した書籍『怪獣画報』(秋田書店、1966年)で取り上げた[2]ほか、しばしば超常現象研究家・未確認動物研究家らによって雑誌や書籍で紹介されている[注釈 4]。また、インターネット上でも幾つかのサイトで取り上げられている。
正体
[編集]目撃談によれば、その大きさも形態も、一般に知られる動物とは異なる。南極近海にはクジラ類のほか、攻撃性が強く大形のヒョウアザラシもいるが、いずれにも該当しない。ゴジラという名称からは恐竜のような動物が連想されるが、突出した耳介や体毛が事実であるなら、恐竜とは考えられない[注釈 5]。
目撃したという宗谷の乗組員は船長を含めて経験が豊かであり、既存の動物や物体を誤認したとは考えにくいが、夏の南極近海では白夜が続いて睡眠・覚醒のリズムが崩れた、あるいは越冬隊員収容という重責[注釈 6]、氷海に閉じ込められるなどの強いストレスが重なり、感覚や心理が尋常ではない状況にあった可能性も否定できない。そうした異常な状況下では集団幻覚が起き得ることは古くから知られる[注釈 7]。
なお、後年の書籍によっては、正体が水陸両生哺乳類のデスモスチルスである可能性を挙げているものが見られる[4][5]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 書籍・サイトによっては「宗谷丸」とするが、同船は旧鉄道省の稚泊連絡船であり、別物である。南極観測船の宗谷も、1945年から引揚船として利用された際に宗谷丸と改称されたが、1948年に海上保安庁の灯台補給船になった際に宗谷丸と同船名であることが紛らわしいので、元の船名に戻されている。
- ^ 海面から見えた姿が15メートルとする書籍もある[2]。
- ^ カメラのピントを合わせている間としている書籍もある[2]。
- ^ 例えば、南山宏『謎の巨大獣を追え 未知動物〈ヒドン・アニマル〉の正体を徹底検証』(広済堂出版、1993年)にも、南極ゴジラという名称は用いていないが、この事件の記述がある[要ページ番号]。
- ^ 一部の恐竜には体毛があったとも考えられるが、海洋に生息している時点ですでに恐竜ではなく、その特徴から哺乳類と解するのが妥当である。フランスの理学博士であるジャン・ジャック・バルロワは「多ビレ」と呼ばれる背ビレを持つ海洋哺乳類の未知動物の存在を主張しており、南極ゴジラの特色と共通するとも思われる。「多びれ」の詳細はシーサーペント#検証も参照。
- ^ 第2次観測が行われた1957年から1958年は、宗谷をはじめ複数の観測船が氷に閉じ込められるなど、南極の天候が非常に悪かった。宗谷は自ら脱出に成功したものの、2月1日に左舷スクリュー・プロペラの一部を破損したため、バートン・アイランドの支援を受けて共に氷海を昭和基地に向かっている最中だった。最終的に宗谷は昭和基地への接岸を断念し、第1次越冬隊の収容のみ行い、置き去りにされた樺太犬のうち、タロとジロのみが生還した。
- ^ 18世紀に、演習中のフランス艦隊が暴風雨に遭遇して1隻が行方不明となる事件があった。他の艦が捜索に当たっていたところ、いかだに乗った大勢の将兵を発見して救命艇を向かわせたが、いざその近くまで行くと、それは陸から流れて来たらしい枝葉の付いた巨大な流木であり、人間は1人もいなかった。暴風雨による遭難の危機や僚艦の喪失などにより、無事だった将兵も過大な肉体的・精神的疲労が重なり、その結果として集団幻覚を引き起こしたと思われる(春田俊郎『海の科学99の謎』産報、1975年[要ページ番号])。
出典
[編集]- ^ a b c d 野村宏平、冬門稔弐「2月13日」『ゴジラ365日』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、48頁。ISBN 978-4-8003-1074-3。
- ^ a b c 円谷英二監修、大伴昌司・小山内宏著 編『怪獣画報[復刻版]』秋田書店、2012年10月31日(原著1966年12月)、37頁。ISBN 978-4-253-00919-5。
- ^ a b 松本満次 編『南極輸送記』創元社、1959年、210-215頁 。
- ^ 並木伸一郎『ムー的未確認モンスター怪奇譚』 学研プラス、2018年、p.186、ISBN 978-4-059-17231-4
- ^ ながたみかこ『図解大事典 未確認生物UMA』 新星出版社、2018年、p.136、ISBN 978-4-405-07280-0