南條重長
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南條 重長(なんじょう しげなが、天文20年(1551年) - 元和9年11月2日(1623年12月23日))は、戦国時代の武将。
兎々呂城城主。通称右京亮、山城守、小谷岡但馬。
略歴
[編集]北条氏直に仕え、父・重頼の領地及び騎馬50騎、足軽200人を賜り旗本の侍大将と旗奉行を兼ねた[1]。
天正18年(1590年)小田原征伐の時、小峰山の持口を守った。後に流浪の身となり武蔵国深澤村に移った[2]。元和9年(1623年)11月2日死去。享年73[1]。
参考文献
[編集]- 『武蔵』(磯部甲陽堂 、1925年、769p)
- 『集註小田原衆所領役帳』(東京市、1936年、114p)
脚注
[編集]- ^ a b 東京市 1936, p. 114.
- ^ 磯部甲陽堂 1925, p. 769.