南条吉左衛門
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南条 吉左衛門(なんじょう きちざえもん、嘉永6年5月9日[注 1](1853年6月15日) - 昭和11年(1936年)5月6日[1])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。
来歴
[編集]信濃国小県郡別所村(現長野県上田市)生まれ。幼名は豊太郎。横浜開港に伴う養蚕業の隆盛により、蚕種の国内需要が増大したのを受けて蚕種製造業を始める。明治31年(1898年)から小県蚕種同業組合長を務めた。
明治12年(1879年)村戸長となり、自由民権運動に共鳴して嚶鳴社に参加し、同14年(1881年)大隈重信の知遇を得て、地元に立憲改進党の支部を組織した。翌年(1882年)長野県会議員となり、同22年(1889年)上田に改進党系の結社「已丑倶楽部」を結成して会長となった。同37年(1904年)第9回衆議院議員総選挙に当選した。日露戦争に関して殊功があり、勲四等旭日小綬章を受けた。
政界引退後、大正6年(1917年)に別所温泉に長野県初となる株式会社のホテル「花屋」を開業し、温泉街の発展に尽力した。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 衆議院『衆議院議員名簿』〈第二十回帝国議会衆議院公報第1号附録〉、1904年、15頁では嘉永6年9月9日。
出典
[編集]- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』473頁。
出典
[編集]- 『信濃人物誌』1965年。
- 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『上田市誌 人物編 明日をひらいた上田の人びと』2003年。