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千葉縣護國神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
千葉縣護國神社

本殿 (2010年5月1日)
所在地 千葉県千葉市若葉区桜木4丁目1番1号
位置 北緯35度37分12秒 東経140度06分42秒 / 北緯35.62000度 東経140.11167度 / 35.62000; 140.11167
主祭神 千葉県出身の国事殉難者
社格 内務大臣指定護国神社別表神社
創建 1878年明治11年)
例祭 4月10日10月10日
地図
千葉縣 護國神社の位置(千葉県内)
千葉縣 護國神社
千葉縣
護國神社
地図
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千葉縣護國神社(ちばけんごこくじんじゃ)は、千葉県千葉市若葉区にある神社護国神社)である。神紋は丸に桜紋。

概要

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戊辰戦争から太平洋戦争に至るまでの、千葉県出身の国事・戦争殉難者を祀る神社。合祀祭神は2022年2月現在で5万7828柱[1]

全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML

歴史

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明治11年(1878年)1月27日柴原和初代県令の発起により、「千葉縣招魂社」として創建され、明治維新で亡くなった佐倉藩の安達直次郎盛篤ら16人の霊が祀られた。昭和14年(1939年)、招魂社の制度が護国神社に改められるのに伴い「千葉縣護國神社」と改称した。昭和18年(1943年)4月には主務大臣により1県1社の「護國神社」として指定される。

元の鎮座地は千葉県庁公園内で、明治22年(1889年)に千葉神社境内に遷座したが、境内が狭いことから、昭和12年(1937年)より亥鼻山への遷座がすすめられた。昭和18年(1943年)に新社殿が竣工し、同年4月19日に鎮座祭が行われた。しかし、昭和20年(1945年)7月、千葉市街の大半を焼失する戦災により、社殿を焼失した。

第二次大戦後は、軍国主義施設とみなされるのを防ぐ目的で頌徳神社に改称した。主権回復後の昭和27年(1952年)に千葉縣護國神社に復称した。

昭和42年(1967年9月30日[要出典]、亥鼻山から中央区弁天に遷座した[2]。平成8年(1996年)、神社本庁別表神社に加列された。

昭和48年(1973年10月13日第28回国民体育大会開会式に合わせて来県した昭和天皇香淳皇后[3]皇太子明仁親王同妃美智子が親拝 ・参拝。昭和53年(1978年)10月、創立百年大祭を春季例大際に併せて斎行。

平成23年5月には特攻勇士の像が建立された。

戦没者遺族の高齢化や建物の老朽化に伴い[2]、令和4年(2022年)2月に中央区弁天3丁目16-1から現在地に遷座した[1]

所在地

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千葉県千葉市若葉区桜木4丁目1番1号

祭礼

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  • 季例大祭
    • 春(4月10日)
    • 秋(10月10日)
  • みたま祭
    • 7月13日-16日

脚注

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  1. ^ a b 千葉県護国神社が遷座 バリアフリー化で戦没者遺族らに配慮”. 産経ニュース. 産経デジタル (2022年2月26日). 2022年6月8日閲覧。
  2. ^ a b 千葉県護国神社が来年2月に遷座 遺族ら高齢化でバリアフリーに”. 産経ニュース. 産経デジタル (2021年8月13日). 2022年6月8日閲覧。
  3. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、141頁。ISBN 978-4-10-320523-4 

関連項目

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外部リンク

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