千葉晴久
表示
個人情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
生誕 | 北海道 |
死去 | 2006年2月8日 (54歳没)
[1] 東京都 |
スポーツ | |
競技 | アルペンスキー |
種目 | アルペン競技 |
成績・タイトル | |
国内大会 | 全日本スキー選手権大会1973年(第51回): 大回転–1位(所属:専修大学) 同1974年(第52回)回転–1位(所属:同) 同1975年(第53回)回転–1位・大回転–1位(所属:リーベルマン) 同1976年(第54回)回転–1位(所属:東京ウル) |
千葉 晴久 (ちば はるひさ、1951年6月3日 - 2006年2月8日[1])は、日本のアルペンスキーヤーである。
来歴
[編集]北海道旭川市出身。北日本学院高校(現在の旭川大学高校)から進学した専修大学在学中、1972年札幌オリンピック[2]と1976年インスブルックオリンピックに出場した[3]。1972年第50回全日本スキー選手権大会アルペン競技「回転」で優勝[2]。札幌オリンピック大回転19位[2]。プロに転向する[いつ?] SRAプロスキーサーキットプロレレースに参戦し、日本人初の優勝。
後進の指導に取り組み選手層を厚くするため、1986年に任意団体会長[4]、長野オリンピック開催の1998年にNPO法人ナスターレース協会初代会長に就任[4]。2002年ソルトレークシティオリンピックではコーチを務めた[5]。
2006年、肝不全のため東京都で死去[1]。
著作
[編集]参照資料
[編集]- ^ a b c “千葉晴久氏死去/札幌など冬季五輪アルペン代表”. 四国新聞. (2006年2月10日) 2019年9月28日閲覧。
- ^ a b c “連載23 記録に見る日本のスキー競技史1923年、日本のスキー競技ははじまった”. 公益財団法人全日本スキー連盟. 2019年10月3日閲覧。
- ^ “Haruhisa Chiba Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月16日閲覧。
- ^ a b 三浦 豪太. “ナスターレース協会 National Standard Race | 概要 | 2019 | 沿革”. 特定非営利活動法人ナスターレース協会. 2019年10月3日閲覧。 “1986年7月設立準備委員(スキー場経営企業)から任意団体のナスターレース協会設立 [名誉会長/猪谷 千春, 会長/千葉 晴久]スタート 事務局(株)フロンティア内”
- ^ “第19回オリンピック冬季競技大会代表選手 > プロフィール > スキー・スノーボードの日本代表選手団一覧 > コーチ 千葉 晴久(ちば はるひさ)”. 公益財団法人日本オリンピック委員会. 2019年9月28日閲覧。
関連項目
[編集]関連資料
[編集]- 土谷守生『月刊スキーグラフィック Ski graphic』2月号、ノースランド出版; 芸文社、2019年1月10日。NCID AN10455988