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木津川 (大阪府)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
千本松渡船場から転送)
木津川
木津川 2006年2月24日撮影。土佐堀川から分かれてすぐの木津川。大阪市西区の木津川大橋から北をむいて撮影。見えている青い橋は木津川橋
木津川橋(大阪市西区)
水系 一級水系 淀川
種別 一級河川
延長 8.7[1] km
平均流量 -- m3/s
流域面積 1.5[1] km2
水源 旧淀川大阪市西区
水源の標高 -- m
河口・合流先 大阪湾(大阪府)
流域 日本の旗 日本 大阪府
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道頓堀川(右手の水門)が合流

木津川(きづがわ)は、大阪府大阪市南西部を流れる淀川水系の下流における分流で一級河川。流域北部は住宅地、南部は倉庫・造船所などの工業地帯を流れる。

干潮水深昭和5年(1930年)に10.5メートル、昭和15年(1940年)9.4メートル、昭和27年(1952年)3.2メートルと次第に浅くなっている。平均幅員は昭和27年時の調査で169メートル。

地理

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大阪府大阪市西区中北部で淀川分流の土佐堀川から分かれ、西区中央部を南へ縦断。大阪ドーム近くの大正橋道頓堀川が東から合流、西へは岩崎運河から尻無川への流れがある。本流は大正区浪速区西成区との境界を成しながらなおも南下し、千本松大橋付近から徐々に南西流、そして西流へ転じる。下流では大正区と住之江区の境界となり、木津川運河を分けて大阪港南部(大阪南港東部)へ注ぐ。

歴史

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古くから掘削され、豊臣家の軍船停泊所の建設や中村勘助の木津川浚渫、江戸幕府船番所河村瑞賢難波島中央部切開、泉尾新田への用水導入、舟囲場、天満屋敷など多くの歴史背景がある。これらについては年表で後述する。

明治20年頃まで木津川は船の出入りが多く、賑わっていたが、その後、より水運の良い安治川に主導権を奪われた。具体的には、大正元年(1912年)の川筋の停泊数で、安治川が2,221隻で最多、木津川1,336隻、尻無川620隻となっている[1]第一次世界大戦時の造船ブームや付近の工場の進出で木津川は再び活気を取り戻した。現在も運河としての役割を担っている。

支流

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渡船

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中・下流域で、両岸を結ぶ公営渡船が市営で運航されている。歩行者および自転車専用で、無償。建設局による運航(木津川渡のみ港湾局)。渡船と対応する形で道路橋が併設されている箇所もあるが、木津川の貨物船運航に支障のないよう、ループ橋で建設されている。

  • 落合上渡 大正区千島1丁目 - 西成区北津守3丁目 日中15分毎。
  • 落合下渡 大正区平尾1丁目 - 西成区津守2丁目 日中15分毎。
  • 千本松渡 大正区南恩加島1丁目 - 西成区南津守2丁目 日中15分毎。道路橋は千本松大橋が対応。
  • 木津川渡 大正区船町2丁目 - 住之江区平林北1丁目 日中45分毎。道路橋は新木津川大橋が対応。

主な橋梁

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上流から

流域の行政区

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(*は左岸に位置する)

大阪府
大阪市西区大正区浪速区*、西成区*、住之江区*

文化事業

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参考資料

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  • 大正区制施行70周年記念事業実行委員会編『大正区制施行70周年記念誌 わがまち大正』大正区制施行70周年記念事業実行委員会、 2003年発行
  • 大正区役所編『わたしたちのまち大正区』 2007年発行

脚注

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注釈・出典

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  1. ^ a b c 『大正区制施行70周年記念誌 わがまち大正』p.28

関連項目

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