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十和田市立洞内小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
十和田市立洞内小学校
地図北緯40度39分34.46秒 東経141度11分34.80秒 / 北緯40.6595722度 東経141.1930000度 / 40.6595722; 141.1930000座標: 北緯40度39分34.46秒 東経141度11分34.80秒 / 北緯40.6595722度 東経141.1930000度 / 40.6595722; 141.1930000
過去の名称 洞内小学
洞内簡易小学校
洞内尋常小学校
洞内尋常高等小学校
洞内国民学校
大深内村立洞内小学校
三本木市立洞内小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 十和田市
設立年月日 1878年11月1日
閉校年月日 2023年3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B102210001301 ウィキデータを編集
所在地 034-0107
青森県十和田市大字洞内長根32番地
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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十和田市立洞内小学校(とわだしりつ ほらないしょうがっこう)は、青森県十和田市大字洞内にあった公立小学校。2023年3月末の閉校時点の児童数は25名[1]

沿革

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  • 1878年明治11年)6月1日 - 洞内村の民家を借用し、洞内小学として設立。
  • 1880年(明治13年)9月1日 - 洞内村字前田に校舎新築。大沢田分校設置。
  • 1883年(明治16年) - 字山崎に校地移転。
  • 1884年(明治17年) - 再度校地を字前田に移転。羽立分校設置。
  • 1886年(明治19年) - 洞内簡易小学校と改称。
  • 1892年(明治25年) - 洞内尋常小学校と改称。
  • 1901年(明治34年) - 大沢田分校廃止。
  • 1911年(明治44年)10月20日 - 洞内字前田88番2号に校舎新築。
  • 1918年大正7年) - 農業補習学校併置。
  • 1923年(大正12年)4月1日 - 高等科を併置し、洞内尋常高等小学校と改称。
  • 1935年昭和10年)4月1日 - 青年訓練所充当洞内農業補習学校が、洞内青年学校となる。
  • 1937年(昭和12年)1月20日 - 大字洞内字長根36番地に校舎新築。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、洞内国民学校と改称。同日、洞内青年学校が、大深内青年学校に統合。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、大深内村立洞内小学校と改称。同日、洞内中学校を併置し、高等科生を中学校に移籍。更に、羽立分校が独立する。
  • 1951年(昭和26年)4月1日 - 本校併置の洞内中学校が、大深内中学校に統合。
  • 1955年(昭和30年)2月1日 - 大深内村が三本木町・藤坂村と合併した三本木市発足により、三本木市立洞内小学校と改称。
  • 1956年(昭和31年)10月10日 - 市名変更により、十和田市立洞内小学校と改称。
  • 1957年(昭和32年)8月3日 - 校歌制定。
  • 1974年(昭和49年)4月 - 防音第一期工事完了。
  • 1979年(昭和54年)3月 - 新校舎・体育館落成。
  • 2006年平成18年)1月 - 防音機能復旧事業完了。
  • 2014年(平成26年)12月 - 耐震改修工事完了。
  • 2022年令和4年)11月12日 - 閉校式挙行[1]
  • 2023年(令和5年)3月31日 - 本校と松陽小学校を統合した大深内小学校開校により閉校。なお、同じ洞内地区に開校した大深内小学校は本校校舎を使用しない。

学区

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  • 大字洞内(字井戸頭(一部)・字稲荷ノ下・字後野(一部)・字枯木根・字客僧田・字妻ノ神・字杉ノ沢・字千刈田・字長田・字長根・字沼田野・字樋口(一部)・字前田・字向・字森田・字山崎)、大字大沢田(字有信山・字池ノ平・字芋久保・字大沢田・字北野・字笹館・字下道・字李平・字外前田・字前田・字堤沢)、大字馬洗場、大字立崎字焼山

周辺

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アクセス

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参考資料

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  • 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)「学校沿革 小学校」739頁「洞内小学校」(昭和32年の記載分まで)

脚注

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  1. ^ a b 母校の歴史、胸に刻んで 洞内小で閉校式/十和田 - デーリー東北WEB版・2022年11月12日19時35分配信

関連項目

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外部リンク

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