北田千尋
個人情報 | ||||||||||||||||||
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生誕 | 1989年1月12日(35歳) 日本 和歌山県橋本市 | |||||||||||||||||
スポーツ | ||||||||||||||||||
競技 | 車いすバスケットボール | |||||||||||||||||
障害クラス | 4.5 | |||||||||||||||||
チーム | カクテル | |||||||||||||||||
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北田 千尋(きただ ちひろ、Kitada Chihiro、1989年1月12日 - )は、日本の女子車いすバスケットボール選手。ポジションはパワーフォワード[1]。女子車いすバスケットボールチーム「カクテル」所属[1]。車いすバスケットボール女子日本代表選手。
来歴
[編集]和歌山県橋本市出身[2]。3歳で喘息を患い小学2年まで入退院を繰り返していたため、幼少の頃はスポーツは好きではなく趣味は読書だった。中学進学後、一緒に登校していた近所の幼馴染がバスケットボール部に入部したため自身も入部した。喘息と先天性の股関節脱臼の影響で脚に痛みが発生したため、満足なプレーができなかったが、徐々に競技の魅力を感じるようになった[3][4]。
バスケットボールへの心残りはあったが、プレーができない体であることが分かっていたため、高校はバスケット部のない和歌山工業高等専門学校に進学した。しかし、1年生のとき、自身がコーチとなってバスケットに関わることを思いつき、学校に直談判し、部員の勧誘を行ってバスケットボール部を創部。中学の時から趣味の読書でバスケットボールの専門書を読んでいたことを活かしてヘッドコーチ役を担った[3][5]。
指導者としてのやりがいを感じるようになったことから高専を3年で退学し、体育教師としてバスケットボール指導者になるため大学に進学[4]。大学3年生の時、インターンシップで訪れた障がい者スポーツセンターの職員に誘われたことがきっかけで車いすバスケットボールに出会う。車いすを使えば自身も走ってバスケットができることに魅力を感じ[6]、男子チームの「北九州足立クラブ」に入団。のち女子チームの「九州ドルフィン」に入団[3]。2011年、U-25車いすバスケットボール女子日本代表に選出され、第1回U25世界選手権大会に出場。
2012年、関西のチーム「カクテル」に移籍。日本女子車いすバスケットボール選手権大会で優勝を6回達成し、MVPを4回受賞した[6]。2016年、パラアスリート採用でLINEに入社。同年から2018年までオーストラリアのリーグに挑戦し[2]、女子リーグWNWBLの「Be Active Western Stars」と男子リーグNWBLの「Be Active Perth Wheelcats」でプレーした。2016年にWNWBLで優勝、NWBLで準優勝した[7]
2021年、東京パラリンピックに出場。全6試合で、日本代表チーム内最多の得点を記録した。
日本代表歴
[編集]- 2011 U-25世界選手権
- 2014 アジアパラ競技大会 準優勝
- 2015 アジアオセアニアチャンピオンシップス
- 2017 アジアオセアニアチャンピオンシップス
- 2018 アジアパラ競技大会 準優勝
- 2019 アジアオセアニアチャンピオンシップス
- 2021 東京パラリンピック 6位
脚注
[編集]- ^ a b 【日本代表選手名鑑】車いすバスケットボール女子|東京2020パラリンピックパラサポWEB2021年8月19日
- ^ a b プレーできる喜びが力に朝日新聞2020年1月9日
- ^ a b c 東京パラリンピックで勝つことで親孝行をしたいと思います。【北田千尋(車椅子バスケットボール)インタビュー】
- ^ a b 【車いすバスケリレーインタビュー 女子Vol.7】北田千尋「“頑張れる”幸せをかみしめ目指すは“世界一”」
- ^ <Tokyo2020+> 輝き求め 世界挑戦読売新聞2021年8月24日
- ^ a b LINEの社員アスリート、北田千尋選手が東京2020パラリンピック競技大会に内定LINE 2011年6月22日
- ^ 北田 千尋Caspo 2021年9月13日閲覧
外部リンク
[編集]- 北田千尋 (@ck_cocktail13) - X(旧Twitter)