北消防署 (名古屋市)
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北消防署 | |
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情報 | |
設置日 | 1943年(昭和18年)12月24日[1] |
管轄区域 | 名古屋市北区 |
消防署数 | 1 |
出張所数 | 2 |
所在地 | 〒 |
愛知県名古屋市北区萩野通2丁目1 | |
北消防署(きたしょうぼうしょ)は、愛知県名古屋市北区に所在する名古屋市消防局の消防署。
出張所
[編集]- 楠出張所:北区楠2-965[1](北緯35度13分43.8秒 東経136度55分22.9秒 / 北緯35.228833度 東経136.923028度)
- 飯田出張所:北区芦辺町3-4[1](北緯35度11分35.6秒 東経136度55分41.7秒 / 北緯35.193222度 東経136.928250度)
- 城北出張所(1943年〜1944年)[1]
- 六郷出張所(1946年〜1949年)[1]
- 神戸製鋼所第一工場内臨時出張所(1944年〜1945年)[1][註 1]
- 神戸製鋼所第二工場内臨時出張所(1944年〜1945年)[1][註 1]
- 大隈鉄工所萩野工場内臨時出張所(1944年〜1945年)[1][註 1]
- 大隈鉄工所上飯田工場内臨時出張所(1944年〜1945年)[1][註 1]
歴史
[編集]沿革
[編集]- 1943年(昭和18年)12月24日 - 愛知県城北消防署(東区[当時]瑠璃光町)として発足[1]。飯田出張所・城北出張所が中消防署より移管される。管轄区域は東区と西区の各一部(北区発足後は北区のみ)[1]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 北区光音寺町に移転し、城北出張所を廃止する[1]。
- 1944年(昭和19年)4月1日 - 神戸製鋼所(第一工場・第二工場)・大隈鉄工所(萩野工場・上飯田工場)内に臨時出張所を設置(翌1945年8月廃止)[1]。
- 1945年(昭和20年)6月7日 - 北区萩野通2丁目1番地に移転(『北区誌』の記述による)[2]。
- 1946年(昭和21年)4月15日 - 六郷出張所が筒井消防署より移管される[1]。
- 1948年(昭和23年)3月7日 - 名古屋市北消防署となる[1]。
- 1949年(昭和24年)6月30日 - 六郷出張所廃止[1]。
- 1959年(昭和34年)3月17日 - 改築[1]。
- 1966年(昭和41年)
- 1974年(昭和49年)3月11日 - 飯田出張所が瑠璃光町1丁目10番地より芦辺町3丁目4番地に移転[2]。
- 1980年(昭和55年)5月15日 - 北区萩野通2丁目1番地に移転(『名古屋消防史』の記述による)[1]。現庁舎を新築(『北区誌』の記述による)[2]。
- 1984年(昭和59年)10月23日 - 時計付広報塔除幕(名古屋城北ライオンズクラブ創立10周年記念)[1]。
- 1989年(平成元年)4月20日 - 楠出張所を移転改築(旧庁舎は北区役所倉庫として使用。)[1]。
歴代署長
[編集]- 小柳禄衛(1943年12月24日〜)[1]
- 尾頭繁宣(1946年5月31日〜)[1]
- 水谷惣四郎(1948年2月6日〜)[1]
- 山川源信(1949年9月6日〜)[1]
- 林進平(1953年1月28日〜)[1]
- 酒井保宗(1959年8月7日〜)[1]
- 小川保男(1961年2月11日〜)[1]
- 斉藤清(1965年6月16日〜)[1]
- 長谷川千代士(1966年12月1日〜)[1]
- 梅田正美(1969年8月1日〜)[1]
- 平下静男(1971年8月1日〜)[1]
- 西岡兼一(1972年8月1日〜)[1]
- 小粥正明(1974年4月1日〜)[1]
- 岡村銑治(1975年12月5日〜)[1]
- 奥村快悟(1979年4月12日〜)[1]
- 山本富昭(1980年11月4日〜)[1]
- 森本勇(1981年11月1日〜)[1]
- 柴田康雄(1983年4月1日〜)[1]
- 勝山八吉(1985年4月1日〜)[1]
- 川上勉(1987年4月1日〜)[1]
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脚注
[編集]註
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 名古屋市会事務局 編『名古屋市会史 別巻第7 総合名古屋市年表(昭和編5)』名古屋市会事務局、1983年2月28日。全国書誌番号:83029734。
- 名古屋消防史編集委員会 編『名古屋消防史』名古屋市消防局、1989年7月20日。
- 北区制50周年記念事業実行委員会 編『北区誌』1994年2月。