北河原公敬
北河原 公敬 (きたかわら こうけい[1][2][3]/きみひろ[4][5]、1943年(昭和18年)5月9日[5] - )は、日本の華厳宗の僧侶。華厳宗管長[5]・第220世東大寺別当[5]。2022年現在は東大寺長老、学校法人東大寺学園理事長[2]、印度山日本寺(インド・ブッダガヤ)第6世竺主[4]などを務める。
経歴
[編集]北河原公典(第210世東大寺別当)の子として奈良市に生まれる[6]。10歳で東大寺に入寺し、15歳(中学3年生時[7])で得度[6]。中学・高校は東京で親族宅に下宿し[8]、学習院中等科・高等科に通う[9]。1962年、学習院高等科卒業[9]。1968年[4]、龍谷大学大学院修士課程修了[5]。
1971年5月、東大寺塔頭総持院住職[5]。1987年4月、東大寺塔頭中性院住職[5]。華厳宗および東大寺での役職を歴任し、2004年5月に華厳宗宗務長・東大寺執事長[5]、2007年5月に上院院主・学校法人東大寺学園理事長[5]。
2010年5月、華厳宗管長・第220世東大寺別当に就任[5]。2011年3月11日の東日本大震災発生は修二会の期間中であり、北河原はお水取りの際には参列者に「未曾有の大惨事で亡くなった人々のために祈ってほしい、困っている方に心を寄せてほしい、被災者のために力を尽くしてほしい」と呼びかけた[7][10]。「被災者の方々と痛みを共有したい」[11]として、東大寺が被災地への義援金を寄託することを提案し、実施に移したほか[11]、再三被災地を訪問した[12]。
2013年5月、東大寺長老・東大寺総合文化センター総長となる[5]。2016年にはインド・ブッダガヤの印度山日本寺第6世竺主に就任[4](2022年時点でも在職[13])。
人物
[編集]- 東山天皇の男系九世子孫にあたる。祖父の北河原公海は第200世東大寺別当[6]、父の北河原公典は第210世東大寺別当[6]。母は島津家の出身(島津久永の姉にあたる)[14]。
- 学習院高等科ではグランドホッケー部に入部[9]。2014年に日本ホッケー協会会長に就任した[15]。
- 東大寺学園が定時制の高校であった時代には教員を務め、国語を教えクラス担任も持っていた[7]。
- このほか、財団法人大和文華館理事[5]、香雪美術館理事[5]、奈良日米協会会長[3]などの役職を務める。
著書
[編集]- 修二会の風景(レベル、2011年) - 浦田周社木版画
- 蓮は泥の中で育ちながら、泥に染まらない(講談社、2012年)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “北河原公敬”. 新潮社. 2022年2月16日閲覧。
- ^ a b “法人概要 東大寺学園”. 学校法人情報検索システム. 日本私立学校振興・共済事業団. 2022年2月16日閲覧。
- ^ a b “奈良日米協会が設立5年目 留学支援や文化交流を進める”. 朝日新聞. (2020年12月5日) 2022年2月16日閲覧。
- ^ a b c d “活躍する校友 北河原公敬”. 龍谷大学校友会. 2022年2月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m “2014-2015年度ガバナー 北河原公敬”. 国際ロータリー第2650地区ガバナー事務所. 2022年2月16日閲覧。
- ^ a b c d “北河原公敬 プロフィール”. HMV&BOOKS online. 2022年2月16日閲覧。
- ^ a b c “歌枕直美の心から語りたい vol.72 北河原公敬”. 株式会社うたまくら (2019年9月). 2022年2月16日閲覧。
- ^ “会長からのご挨拶”. 関西桜友会. 2022年2月16日閲覧。
- ^ a b c “関西桜友会をお訪ねして”. 学習院. 2022年2月16日閲覧。
- ^ “震災犠牲者を追悼 - お水取り・籠松明と水取り”. 奈良新聞. (2011年3月14日) 2022年2月16日閲覧。
- ^ a b “東大寺 全額借り入れ1億円 - 大震災義援金「痛みを共有」”. 奈良新聞. (2011年4月8日) 2022年2月16日閲覧。
- ^ “東大寺のお水取り、被災地復興も願う”. 朝日新聞. (2012年2月1日) 2022年2月16日閲覧。
- ^ “日本寺竺主・名誉会長・名誉副会長”. 公益財団法人国際仏教興隆協会. 2022年2月16日閲覧。
- ^ “歌枕直美の心から語りたい vol.73 北河原公敬”. 株式会社うたまくら (2020年1月). 2022年2月16日閲覧。
- ^ “ホッケー新会長に北河原氏”. 日刊スポーツ. (2014年6月28日) 2022年2月16日閲覧。