北村左吉
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北村 左吉(きたむら さきち、嘉永7年10月13日[1](1854年12月2日) - 大正10年(1921年)5月25日[1])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。
経歴
[編集]加賀藩士・北村庄五郎の長男として生まれる[2]。1877年(明治10年)、堺に移り、翌年に代言人免許を得て開業した[1]。堺代言人組合長、大阪代言人組合副会長、大阪弁護士会副会長を歴任[1]。また自由民権運動に参加し、古沢滋・菊池侃二らとともに立憲政党を組織し、『日本立憲政党新聞』(のちの『大阪毎日新聞』)を刊行した[3]。大阪事件の際には被告たちの弁護を担当した[3]。1887年(明治20年)、大阪府会議員に選ばれ、1901年(明治34年)には堺市会議員、同参事会員に選出された[1]。
1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙で当選。第8回、第9回でも再選を果たした。
1917年(大正6年)、堺市実業学校調査委員に選ばれ、堺市立商業学校の創設に尽力した[1]。また堺市教育会長を務めた[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 堺市史 第七巻 1930, pp. 447–448.
- ^ 近畿弁護士評伝 1900, p. 311.
- ^ a b 近畿弁護士評伝 1900, pp. 311–317.
参考文献
[編集]- 『堺市史 第七巻 別編』堺市役所、1930年。
- 越山鬼城『近畿弁護士評伝』潜竜館、1900年。