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北本貴士

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 北本 貴士 
Takashi KITAMOTO
基本情報
名前 北本 貴士
生年月日 (1936-03-21) 1936年3月21日(88歳)
国籍 日本の旗 日本
経歴
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北本 貴士(きたもと たかし、1936年3月21日 - )は、日本プロゴルファー

旧名は「北本 隆[1] [2]

来歴

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1957年にプロ入り[3]

1958年日本プロでは大会初出場ながら予選を通過すると1回戦で陳清水、2回戦で島村祐正とベテランを下して台風の目になる[1]。3日目の36ホールの準決勝では中村寅吉を前に萎縮したのかプレーが冴えず、前半の18ホールを終えて6アップと大量リードされるが、午後になると1番を奪ったのを皮切りに次々にホールを奪うなど中村を苦しめ、焦りが出た中村はミスを連発[1]。中村に僅か1アップと迫るが、その後は15番パー3の3番アイアンの1打をカップ数cmに止めるバーディー、続く16番では8mのバーディーパットをねじ込んで突き放され、北本は敗れた[1]

1962年の日本プロでは杉原輝雄と並んでの2位タイ[2]に入った。

脚注

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  1. ^ a b c d 第26回日本プロゴルフ選手権(1958年)
  2. ^ a b 第30回日本プロゴルフ選手権(1962年)
  3. ^ 北本 貴士 キタモト タカシ TAKASHI KITAMOTO

外部リンク

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