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北川鉄夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

北川 鉄夫(きたがわ てつお、1907年明治40年)3月18日 - 1992年平成4年)5月18日[1])は、日本の映画評論家。本名は西村龍三[2]。北川鉄夫とは、京都宇治の花やしきの北側を宇治川が流れているところから「北川」、山本宣治追悼歌の歌詞「鉄をも砕く」から「鉄」をとった筆名で、山本宣治の同志の田村敬男が命名した[2]

経歴

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京都市生まれ。父は円山応挙の流れをくむ四条派の日本画家[3]。父の影響で美術に親しみ、第三高等学校 (旧制)から東京帝国大学美学美術史学科に進む。1929年2月、佐々元十岩崎昶とともに日本プロレタリア映画同盟(プロキノ)を結成。1929年3月、山本宣治暗殺を悼んで追悼歌を作詞。1933年、投獄のため東大を中退。

戦後、新聞社論説委員、編集主幹、独立映画などを経て、独映協事務局次長。元日本プロレタリア作家同盟・映画同盟員、東京部落問題研究会副会長。東京部落問題研究会副会長。

出典

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  • 北川鉄夫『狭山事件の真実』(部落問題研究所出版部、1972年)著者略歴。

脚注

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  1. ^ 『現代物故者事典1991~1993』(日外アソシエーツ、1994年)p.204
  2. ^ a b 【32】北川鉄夫の山宣追悼歌と労農葬
  3. ^ 北川鉄夫『狭山事件の真実』(部落問題研究所出版部、1972年)p.315