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北多久町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北多久村から転送)
きたたくまち
北多久町
廃止日 1954年5月1日
廃止理由 新設合併
東多久村南多久村多久村西多久村北多久町多久市
現在の自治体 多久市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 佐賀県
小城郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 18,492
(角川日本地名大辞典 41 佐賀県』253頁、1954年)
隣接自治体 小城町、東多久村、南多久村、多久村、西多久村、東松浦郡厳木町
北多久町役場
所在地 佐賀県小城郡北多久町
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北多久町(きたたくまち[1])は、佐賀県小城郡にあった。現在の多久市の一部にあたる。

地理

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多久盆地の北西部に位置していた[2]

  • 河川:今出川、牛津川、山犬原川、小侍川[2]
  • 山岳:天山、笠頭山、女山(船山)[2]

歴史

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  • 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、小城郡多久原村、小侍村が合併して村制施行し、北多久村(きたたくむら)が発足[1][2]。旧村名を継承した多久原、小侍の2大字を編成[2]
  • 1902年(明治35年)莇原郵便局開設[2]
  • 1913年(大正2年)電気点灯[2]
  • 1930年(昭和5年)多久原郵便局開設[2]
  • 1949年(昭和24年)4月1日、町制施行し北多久町となる[2]
  • 1954年(昭和29年)10月1日、小城郡東多久村、南多久村、多久村、西多久村と合併し、市制施行し多久市を新設して廃止された[1][2]。合併後、多久市北多久町多久原・北多久町小侍となる[2]

産業

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  • 農業、商業、工業[2]
  • 産物:米、麦、クリ、ソバ、切干大根、石炭[2]
  • 番所では1908年(明治41年)産業組合を設立し、原野を開墾してミカン栽培を進めた[2]
  • 養蚕は1930年(昭和5年)に最盛期を迎えた[2]

鉱山

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  • 柚木原炭鉱[2]
  • 多久炭鉱(のち立山炭鉱)[2]
  • 正院谷炭鉱[2]
  • 坂口炭鉱[2]
  • 茂平炭鉱[2]
  • 伝原炭鉱[2]
  • 上の原炭鉱[2]
  • 蜂の巣炭鉱[2]

以上の中小炭鉱が存在したが、1931年(昭和6年)には柚木原炭鉱、蜂の巣炭鉱のみが出炭を継続していた。その後、1936年(昭和11年)多久炭鉱、1941年(昭和16年)柚木原炭鉱、1943年(昭和18年)立山鉱業所、1948年(昭和23年)古賀山鉱業所が設立され、再び石炭産業が発展した[2]

交通

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鉄道

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乗合馬車・自動車

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  • 1915年(大正4年)多久西町 - 莇原間に6人乗り高等馬車運行[2]
  • 1919年(大正8年)西多久 - 莇原間に乗合自動車を運行し、さらに武雄 - 莇原間の運行を行う[2]

教育

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1895年(明治28年)多久原尋常高等小学校、小侍尋常高等小学校が合併し、北多久尋常高等小学校となる[2]

脚注

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  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』258頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 『角川日本地名大辞典 41 佐賀県』252-253頁。

参考文献

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関連項目

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