北九州市議会
北九州市議会 きたきゅうしゅうしぎかい | |
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種類 | |
種類 | |
役職 | |
第23代議長 | 鷹木研一郎(自民党・無所属の会)、 2021年2月24日より現職 |
第23代副議長 | 成重正丈(公明党)、 2021年2月24日より現職 |
構成 | |
定数 | 57 |
院内勢力 | 市長支持(3)
自民党・市民が市長をつくる北九州未来市議団(3)
中立・令和5年度予算案には賛成(46) 自民党・無所属の会(16)
公明党(13)
ハートフル北九州(11)
日本維新の会(3)
井上しんご(1)
村上さとこ(1)
若松を愛する会(1)
令和5年度予算案に反対(8) 日本共産党(8) |
選挙 | |
中選挙区制 | |
前回選挙 | 2021年1月31日 |
議事堂 | |
日本、福岡県北九州市小倉北区城内1番1号 | |
ウェブサイト | |
北九州市議会 | |
脚注 | |
北九州市議会(きたきゅうしゅうしぎかい)は、福岡県の政令指定都市である北九州市の議会。
概要
[編集]- 定数:57人
- 任期:4年(北九州市の誕生日である2月10日を起点とする4年間)
- 選挙区:各行政区を選挙区とする中選挙区制(単記非移譲式)
- 議長:鷹木研一郎(自民党・無所属の会)、
- 副議長:成重正丈(公明党)
- 施設:市議会は北九州市役所の議会棟にある。
会派
[編集]会派名
(一般的な名称及び表示) |
議員数 | 所属党派 | 女性議員数 | 女性議員の比率(%) |
---|---|---|---|---|
北九州市議会 自由民主党・無所属の会議員団 (自民党・無所属の会) |
16 | 自由民主党15・無所属1 | 0 | 0 |
北九州市議会 公明党議員団 (公明党) |
13 | 公明党 | 3 | 23.08 |
ハートフル北九州市議会議員団 (ハートフル北九州) |
11 | 立憲民主党7・国民民主党1・無所属3 | 4 | 36.36 |
日本共産党北九州市議団 (日本共産党) |
8 | 日本共産党 | 2 | 25 |
日本維新の会 (日本維新の会) |
3 | 日本維新の会 | 1 | 33.33 |
自民党・市民が市長をつくる北九州未来市議団 (自民未来) |
3 | 自由民主党2・無所属1 | 1 | 33.33 |
井上しんご (井上しんご) |
1 | 無所属 | 0 | 0 |
村上さとこ (村上さとこ) |
1 | 無所属 | 1 | 100 |
北九州・若松を愛する会 (若松を愛する会) |
1 | 無所属 | 0 | 0 |
計 | 57 | 12 | 21.05 |
(2023年5月10日現在)
変遷
[編集]自民党は無所属で当選した7人のうち八幡西区で当選した1人を選挙後に追加公認したものの、2015年北九州市長選挙によるいざこざで会派を離れその後引退した現職(三原征彦)の後を継いだ息子で選挙の当事者(三原朝利 叔父は衆議院議員・三原朝彦)が会派に加わらず、当選時は1人会派を結成した。(のち2018年に自由民主党会派に合流した。)公明党は初の第2会派となる。これにより副議長は公明党の定席となった。「市民の会」は前回選挙で旧みんなの党公認として当選した2人(佐藤栄作、吉村太志)による会派(のち2018年に自由民主党会派に合流した)。 2018年、ハートフル北九州の社民党議員が党除名処分を受けたことにより、北九州市議会から社民党議員はゼロとなった。
2019年1月、共産党市議(小倉北区選出)が県議会選挙に立候補のため辞任。共産党は議席を減らし欠員1名となった。
2019年4月、統一地方選挙と同時に北九州市議会議員選挙(小倉北区補選)が行われ、2017年選挙では、2年以上議会を欠席して、約3,100万円を受領し批判を浴び[1]落選した自民党議員が当選した。
2019年5月、自由民主党会派が、自由民主党・無所属の会議員団(自由民主党)と自民の会に分裂した。会派の運営手法を巡っては同世代や若手の議員らに不満がくすぶっていたことや、さらに6人いる4期の議員らの議長の座を巡る思惑も絡んだものと言われている[2]。公明党は自民党会派が分裂したことにより自民党会派と並んで第1会派となった。
2019年6月、会派「希望と未来」は会派名を「村上さとこ」に変更した。
2021年北九州市議会議員選挙では、自民が大きく議席を減らした一方、立憲民主や維新が勢力を伸ばした。現職22人全員の当選を目指した自民党は議長経験者2人を含む6人が議席を失った。公明、共産は現有議席を維持したものの、得票率を下げた[3]。
2022年9月14日、「自民の会」が解散し、「自由民主党・無所属の会議員団」に加わる形で合流[4]。12月2日、2023年北九州市長選挙への対応をめぐり、「自由民主党・無所属の会」会派として津森洋介の支援を決定したことに所属議員2人が異を唱え、同会派を退会した上で新たに「自民党・市民が市長をつくる北九州未来市議団」(略称:自民未来)を発足、「変革と成長」が解散しこれに合流したことで、「自民未来」は「日本維新の会」と並ぶ第5会派となった[5]。
選挙区・定数の推移
[編集]北九州市議会の選挙制度は、各行政区を選挙区とする中選挙区制(単記非移譲式)である。数字が太字のものは現行定数。
選挙区 | 門司 | 小倉北 | 小倉南 | 若松 | 八幡東 | 八幡西 | 戸畑 | 合計 | |
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選挙日 | 2021/01/31 | 6 | 11 | 12 | 5 | 4 | 15 | 4 | 57 |
2017/01/29 | ↓6 | ↓11 | 12 | ↓5 | ↓4 | 15 | 4 | 57 | |
2013/01/27 | 7 | 12 | 12 | 6 | 5 | 15 | 4 | 61 | |
2009/01/25 | ↓7 | ↓12 | ↑12 | 6 | ↓5 | 15 | ↓4 | 61 | |
2005/01/30 | 8 | 13 | 11 | 6 | 6 | 15 | 5 | 64 |
- 北九州市発足当時、合併特例が適用され旧5市の議員が2年間そのまま北九州市議会を構成した。東京都議会議員選挙と同じく統一地方選挙の中間年に行われている。
- 1965年 - 初の選挙実施
- 1977年 - 旧小倉区・旧八幡区を分割後3年弱を経て初の選挙実施
- 2009年 - 人口減に対応し総定数削減(1増4減)、小倉の「南北逆転現象」解消の一歩を踏み出す
- 2017年 - 更なる総定数削減(0増4減)
歴代議長
[編集]特記なき場合「歴代正副議長一覧」による[6]。
代 | 氏名 | 会派 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 河内定一 | 北州会 | 昭和38年3月13日 | 昭和40年2月9日 | |
2 | 明石清彦 | 第1議員クラブ | 昭和40年2月28日 | 昭和42年3月30日 | |
3 | 河内定一 | 北州会 | 昭和42年3月30日 | 昭和44年2月9日 | |
4 | 大庭勇 | 同志会 | 昭和44年3月8日 | 昭和46年5月1日 | |
5 | 松尾武 | 明友会 | 昭和46年5月8日 | 昭和48年2月9日 | |
6 | 松尾武 | 自民党 | 昭和48年2月27日 | 昭和52年2月9日 | |
7 | 吉田浩明 | 自民党 | 昭和52年2月25日 | 昭和56年1月29日 | |
8 | 重田幸吉 | 民社党 | 昭和56年2月27日 | 昭和60年2月9日 | |
9 | 浜田順治 | 自民党 | 昭和60年2月26日 | 平成元年2月9日 | |
10 | 平山政智 | 自民党 | 平成元年2月23日 | 平成3年3月11日 | |
11 | 三村善茂 | 自民党 | 平成3年3月12日 | 平成5年2月9日 | |
12 | 大坪郁夫 | 民社市民連合 | 平成5年2月25日 | 平成7年3月16日 | |
13 | 井上勝二 | 自民市民クラブ | 平成7年3月16日 | 平成9年2月9日 | |
14 | 武智弘 | 自民市民クラブ | 平成9年2月24日 | 平成13年2月9日 | |
15 | 片山尹 | 自民市民クラブ | 平成13年2月23日 | 平成17年2月9日 | |
16 | 後藤俊秀 | 自民市民クラブ | 平成17年2月23日 | 平成17年3月30日 | |
17 | 中島慎一 | 政新会 | 平成17年3月30日 | 平成21年2月9日 | |
18 | 佐々木健五 | 自由民主党 | 平成21年2月23日 | 平成25年2月9日 | |
19 | 三原征彦 | 自由民主党 | 平成25年2月25日 | 平成26年12月1日 | |
20 | 戸町武弘 | 自由民主党 | 平成26年12月4日 | 平成29年2月9日 | |
21 | 井上秀作 | 自由民主党 | 平成29年2月22日 | 平成31年3月4日 | |
22 | 村上幸一 | 自由民主党 | 平成31年3月4日 | 令和3年2月9日 | |
23 | 鷹木研一郎 | 自由民主党 | 令和3年2月24日 | 現職 |
出身者
[編集]不祥事
[編集]- 2019年7月19日 - 日本共産党北九州市議団の柳井誠が、7月19日、福岡県警小倉南警察署に器物損壊容疑で福岡地方検察庁小倉支部に書類送検される。4月下旬に酒に酔った状態で、駐車中の車2台のサイドミラーを破損した容疑によるもの。日本共産党は柳井を除籍処分にし[7]、「みずからが犯した行為への反省もなければ、被害者への謝罪の意思も示していません。どんな理由であれ、他人の物を破損させることは犯罪行為です。有権者の負託をうけた議員として、許されるものではありません。」と柳井に議員辞職を要求した[8]が、柳井は辞職を拒んだ[9]。
脚注・出典
[編集]- ^ “2年以上欠席、その間の報酬3100万円受領” (jp). Mainichi Daily News. (2016年1月21日) 2021年1月19日閲覧。
- ^ “福岡)北九州市議会、自民市議団が分裂なぜ?:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2021年1月19日閲覧。
- ^ “無所属の得票率6割増 大敗の自、維持の公、共 微減”. 毎日新聞. 2023年2月7日閲覧。
- ^ “北九州市議会 自民党2会派が3年ぶり合流 市長選候補擁立を見据えてか”. ヨテミラ! (テレビ西日本). (2022年9月14日) 2022年9月17日閲覧。
- ^ 城真弓「市長選めぐり自民党系会派が再分裂 2人が別候補推し新会派 北九州」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2022年12月2日。2023年1月26日閲覧。
- ^ “歴代議長・副議長”. 北九州市議会 (2022年4月11日). 2022年9月29日閲覧。
- ^ “柳井誠北九州市議の除籍について”. 日本共産党福岡県委員会門司小倉地区委員会. 2020年8月16日閲覧。
- ^ “器物損壊事件を起こした柳井誠北九州市議に対する議員辞職要求について”. 日本共産党福岡県委員会北九州市議団. 2020年8月16日閲覧。
- ^ “柳井・北九州市議会派離脱へ/福岡”. 毎日新聞 2019年8月14日. 2021年2月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月16日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 北九州市議会(公式サイト)