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加藤知弘 (西洋史学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

加藤 知弘(かとう ともひろ、1927年8月30日 - 2005年12月6日[1])は、日本西洋史学者である。

略歴

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1927年(昭和2年)、福岡県福岡市で生まれる。福岡県立筑紫丘高等学校を経て、1953年(昭和28年)に九州大学文学部を卒業し、九州大学助手となる[2]

1954年(昭和29年)に大分大学学芸学部に赴任し、1976年(昭和51年)に大分大学教育学部教授となる。1987年(昭和62年)からは大分大学教育学部長を務めた。1991年(平成3年)に大分大学を定年退官し、名誉教授となる[2]

1992年(平成4年)から大分県立芸術文化短期大学教授。1997年(平成9年)に『バテレンと宗麟の時代』で、ポルトガル大使館よりロドリゲス通事賞[3]を受賞するとともに、地中海学会の地中海学会賞を受賞。また、同年に大分合同新聞文化賞を受賞した。1998年(平成10年)に大分県立芸術文化短期大学を退官し、名誉教授となる。2005年(平成17年)12月6日、小細胞癌のため大分県大分市にて死去[2][1]

専門はイギリス近世史。また、大分県に伝わる瓜生島伝説に関心を持ち、1977年(昭和52年)1月に「瓜生島」調査会を発足させて、水中考古学などの観点から学術調査を実施。府内 (豊後国)(現在の大分市中心部)近郊の海岸にあった港町沖の浜が、1596年9月4日文禄5年7月12日)の慶長豊後地震で壊滅し海没したことが、後に瓜生島の沈没として伝えられたと結論づけた[4][5]

役職

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  • 日本西洋史学会会員
  • 「瓜生島」調査会代表
  • 異文化交流史研究会会長
  • BUNGO-大分日本エスパニア協会副会長
  • 大友氏関連遺跡の保存を考える会会長[2]
  • 歴史と自然を学ぶ会会長[6]

受賞

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  • ロドリゲス通事賞
  • 地中海学会賞
  • 大分合同新聞文化賞[2]

著書

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  • 『瓜生島沈没』(1978年、葦書房(ぱぴるす文庫))
  • 『ザビエルの見た大分 豊後国際交流史』(1985年、葦書房)
  • 『海にしずんだ島 幻の瓜生島伝説』(1987年、福音館)
  • 『大分市史』(1987年-、編纂・分担執筆)
  • 『バテレンと宗麟の時代』(1996年、石風社)[7]
  • 『目で見る大分市の100年』(2001年、郷土出版社
  • 『目で見る別府・杵築・国東の100年』(2001年、郷土出版社)
  • 『目で見る中津・宇佐・豊後高田の100年』(2001年、郷土出版社)
  • 『目で見る日田・玖珠の100年』(2001年、郷土出版社)
  • 『目で見る竹田・大野・直入の100年』(2001年、郷土出版社)
  • 『目で見る佐伯・津久見・臼杵の100年』(2001年、郷土出版社)
  • 『南蛮船の見える町 わがバテレン・宗麟・瓜生島』(2009年、石風社)[8][9]

脚注

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  1. ^ a b 『現代物故者事典2003~2005』(日外アソシエーツ、2006年)p.165
  2. ^ a b c d e 加藤知弘”. 石風社. 2018年9月11日閲覧。
  3. ^ ロドリゲス通事賞”. ポルトガル大使館. 2018年9月11日閲覧。
  4. ^ 岩田智博 (2017年8月6日). “一夜にして海に沈んだ? 別府湾「瓜生島」伝説とは”. 朝日新聞. https://www.asahi.com/articles/ASK836VV8K83TGPB01C.html 
  5. ^ 長谷川亮一. “瓜生島 “沈んだ島”の虚像と実像 [中]別府湾を襲った大地震”. 幻想諸島航海記. 2018年9月11日閲覧。
  6. ^ 歴史と自然を学ぶ会”. 歴史と自然を学ぶ会. 2018年9月11日閲覧。
  7. ^ バテレンと宗麟の時代”. 石風社. 2018年9月11日閲覧。
  8. ^ 本学名誉教授・故加藤知弘氏著『南蛮船の見える町』が出版されました”. 大分県立芸術文化短期大学 (2010年1月20日). 2018年9月11日閲覧。
  9. ^ 南蛮船の見える町”. 石風社. 2018年9月11日閲覧。