加藤知弘 (西洋史学者)
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加藤 知弘(かとう ともひろ、1927年8月30日 - 2005年12月6日[1])は、日本の西洋史学者である。
略歴
[編集]1927年(昭和2年)、福岡県福岡市で生まれる。福岡県立筑紫丘高等学校を経て、1953年(昭和28年)に九州大学文学部を卒業し、九州大学助手となる[2]。
翌1954年(昭和29年)に大分大学学芸学部に赴任し、1976年(昭和51年)に大分大学教育学部教授となる。1987年(昭和62年)からは大分大学教育学部長を務めた。1991年(平成3年)に大分大学を定年退官し、名誉教授となる[2]。
1992年(平成4年)から大分県立芸術文化短期大学教授。1997年(平成9年)に『バテレンと宗麟の時代』で、ポルトガル大使館よりロドリゲス通事賞[3]を受賞するとともに、地中海学会の地中海学会賞を受賞。また、同年に大分合同新聞文化賞を受賞した。1998年(平成10年)に大分県立芸術文化短期大学を退官し、名誉教授となる。2005年(平成17年)12月6日、小細胞癌のため大分県大分市にて死去[2][1]。
専門はイギリス近世史。また、大分県に伝わる瓜生島伝説に関心を持ち、1977年(昭和52年)1月に「瓜生島」調査会を発足させて、水中考古学などの観点から学術調査を実施。府内 (豊後国)(現在の大分市中心部)近郊の海岸にあった港町沖の浜が、1596年9月4日(文禄5年閏7月12日)の慶長豊後地震で壊滅し海没したことが、後に瓜生島の沈没として伝えられたと結論づけた[4][5]。
役職
[編集]受賞
[編集]- ロドリゲス通事賞
- 地中海学会賞
- 大分合同新聞文化賞[2]
著書
[編集]- 『瓜生島沈没』(1978年、葦書房(ぱぴるす文庫))
- 『ザビエルの見た大分 豊後国際交流史』(1985年、葦書房)
- 『海にしずんだ島 幻の瓜生島伝説』(1987年、福音館)
- 『大分市史』(1987年-、編纂・分担執筆)
- 『バテレンと宗麟の時代』(1996年、石風社)[7]
- 『目で見る大分市の100年』(2001年、郷土出版社)
- 『目で見る別府・杵築・国東の100年』(2001年、郷土出版社)
- 『目で見る中津・宇佐・豊後高田の100年』(2001年、郷土出版社)
- 『目で見る日田・玖珠の100年』(2001年、郷土出版社)
- 『目で見る竹田・大野・直入の100年』(2001年、郷土出版社)
- 『目で見る佐伯・津久見・臼杵の100年』(2001年、郷土出版社)
- 『南蛮船の見える町 わがバテレン・宗麟・瓜生島』(2009年、石風社)[8][9]
脚注
[編集]- ^ a b 『現代物故者事典2003~2005』(日外アソシエーツ、2006年)p.165
- ^ a b c d e “加藤知弘”. 石風社. 2018年9月11日閲覧。
- ^ “ロドリゲス通事賞”. ポルトガル大使館. 2018年9月11日閲覧。
- ^ 岩田智博 (2017年8月6日). “一夜にして海に沈んだ? 別府湾「瓜生島」伝説とは”. 朝日新聞
- ^ 長谷川亮一. “瓜生島 “沈んだ島”の虚像と実像 [中]別府湾を襲った大地震”. 幻想諸島航海記. 2018年9月11日閲覧。
- ^ “歴史と自然を学ぶ会”. 歴史と自然を学ぶ会. 2018年9月11日閲覧。
- ^ “バテレンと宗麟の時代”. 石風社. 2018年9月11日閲覧。
- ^ “本学名誉教授・故加藤知弘氏著『南蛮船の見える町』が出版されました”. 大分県立芸術文化短期大学 (2010年1月20日). 2018年9月11日閲覧。
- ^ “南蛮船の見える町”. 石風社. 2018年9月11日閲覧。