加藤斌 (実業家)
かとう なかば 加藤 斌 | |
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生誕 |
溝口辰五郎 弘化元年2月29日(1844年4月16日) 越前国福井 |
死没 |
1914年(大正3年)9月4日 東京府東京市芝区高輪北町48番地 |
墓地 | 雑司が谷霊園 |
国籍 | 日本 |
別名 | 所左衛門(通称)、子秉(字) |
出身校 | 明道館 |
時代 | 明治時代 |
代表作 | 『商家必用』 |
流派 | イギリス式簿記 |
影響を受けたもの | 吉田東篁、橋本左内、大木忠益 |
配偶者 | 加藤由 |
子供 | 加藤内蔵助、清丸、矢板玄蕃、加藤重雄、柔、竜子、勇 |
親 | 溝口郷右衛門、加藤恒一 |
親戚 | 矢板玄(孫) |
加藤 斌(かとう なかば、弘化元年2月29日(1844年4月16日) - 1914年(大正3年)9月4日)は幕末の英学者、明治時代の官僚、実業家、政治家。福井藩明道館教授、工部省工学寮学生監長、海軍省海上法律取調掛、東京製絨取締役、新橋銀行頭取、芝区会議員。日本で2番目に刊行された簿記書『商家必用』の訳者として知られる。
生涯
[編集]福井藩
[編集]弘化元年(1844年)2月29日福井藩士溝口郷右衛門の次男として生まれた[1]。幼名は辰五郎[2]。幼少期藩儒吉田東篁に漢籍を学び、安政3年(1856年)明道館創設により学生となり[3]、橋本左内に蘭学を学んだ[2]。明道館の校訓「文武不岐」に基づき[4]、子秉の字[5]、斌(なかば、「文武相半ばす」の意)の名を賜り、安政4年(1857年)勉学啓発のため『啓発録』を書き贈られた[2]。
安政4年(1857年)8月20日藩の留学生として左内に従い江戸に上り、浜松町大木忠益塾に入った[5]。安政5年(1858年)1月には京都、4月には江戸と、松平春嶽の下で国事に奔走する左内に付き従い、安政の大獄では10月22日常盤橋の左内邸で尋問を受けた[5]。安政6年(1859年)2月14日祖父の病気により帰郷し、窮理学、暦学、数学等を学び、明道館で詩文、算術を教えた[2]。元治元年(1864年)長州征伐に従軍した[2]。
慶応2年(1866年)10月3日加藤恒一の家督を継いで大番組に入り、11月26日役筒頭、12月25日軍事方となり、28日所左衛門と改称した[6]。慶応3年(1867年)4月11日英学句読師となり、慶応4年(1868年)6月12日上京した[6]。
新政府
[編集]明治元年(1868年)頃横浜に出て英語を学び、金原明善と東里為替店を開いた[5]。1873年(明治6年)3月18日工部省七等出仕となり[5]、翻訳課長、会計権長を務めた[3]。1874年(明治7年)2月15日工学寮に転じ[5]、学生監長を務め[3]、1875年(明治8年)6月工部権助となった[5]。
祖父の死により帰郷後、1877年(明治10年)再び上京して海軍省一等属となり[2]、海上法律取調掛を務め、1880年(明治13年)6月8日海上裁判所訴訟規則審査局御用掛を兼務した[7]。
退官後、横浜正金銀行に関わり[2]、1892年(明治25年)東京製絨に入社して取締役となり[3]、新橋銀行頭取を務めた[8]。1898年(明治31年)11月から1910年(明治43年)11月まで芝区会議員を4期務めた[9]。1914年(大正3年)9月4日死去し、雑司が谷に墓碑が建てられた[2]。
訳書等
[編集]- 『商家必用』 - William Inglis, Book-Keeping by Single & Double Entry[10]の翻訳[11]。
- 『独逸海上保険法』 - イギリス人奄徳『海商事』保険部の翻訳[14]。
- 『海上衝突予防規則』(村上敬次郎共訳)
- 「橋本左内の事跡」『維新史料編纂会講演速記録』第3輯
親族
[編集]- 実父:溝口郷右衛門 - 福井藩士[5]。早逝[2]。
- 養父:加藤恒一[8] - 野坂源右衛門次男。福井藩士。慶応2年(1866年)8月4日神戸で病没[6]。
- 妻:由(ゆう) - 嘉永5年(1852年)2月生。福井藩士小栗秋[15]次女[3]。
脚注
[編集]- ^ 人事興信所 1903, p. 362.
- ^ a b c d e f g h i 西川 1953, p. 23.
- ^ a b c d e f g h i 人事興信所 1908, p. 425.
- ^ 渡辺 2009, p. 5.
- ^ a b c d e f g h 西川 1982, pp. 45–47.
- ^ a b c 福井県文書館 2014, p. 169.
- ^ 履入931 加藤1等属兼勤の義海上法律取調掛届
- ^ a b c d e 人事興信所 1903, pp. 362–363.
- ^ 芝区 1926, pp. 42–43.
- ^ Book-keeping by single and double entry - Google ブックス
- ^ 西川 1953, p. 22.
- ^ 西川 1953.
- ^ 片岡 2005, p. 74.
- ^ 渡辺 2009, p. 8.
- ^ 福井県文書館 2014, p. 60.
- ^ 西川 1982, p. 40.
- ^ 会計局届 加藤1等属家族病気看護願
参考文献
[編集]- 西川孝治郎「我国第二の簿記書 商家必用 ―発刊八十年に当つて―」『企業会計』、中央経済社、1953年12月。
- 西川孝治郎「商家必用 解題」『日本簿記学生成史 : 文献解題』雄松堂書店、1982年6月。doi:10.11501/11917455。全国書誌番号:82044833 。
- 片岡泰彦「加藤斌『商家必用』に関する一考察」『経営論集』第10巻、大東文化大学経営学会、2005年9月、67-86頁、CRID 1050282812825253504、ISSN 1346-2059、NAID 110006487462。
- 渡辺和夫「加藤斌と『商家必用』」『商学討究』第60巻第2/3号、小樽商科大学、2009年12月、3-11頁、CRID 1050282676641492352、hdl:10252/3814、ISSN 0474-8638、NAID 110007473191。
- 「か」『福井藩士履歴』 2巻、福井県文書館、2014年2月 。[リンク切れ]
- 『人事興信録』(初版)人事興信所、1903年4月。NDLJP:779810/240
- 『人事興信録』(第2版)人事興信所、1908年6月。NDLJP:779811/277
- 東京市芝区『芝区勢便覧』芝区、1926年。NDLJP:1020265/31