加藤七郎
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加藤 七郎(かとう しちろう、1889年(明治22年)9月11日[1] - 1944年(昭和19年)8月23日[2][3])は、昭和時代戦前の政治家。実業家。衆議院議員。静岡県会議長。
経歴
[編集]静岡県、のちの浜松市上池川町(現・浜松市中央区布橋一丁目)出身[1][4]。旧制浜松中学校中退[4]。
浜松市会議員、静岡県会議員、同副議長、同議長[4]、浜松市茶業組合長、静岡県茶業組合連合常議員、全国茶業組合中央会議員、日本紅茶、東亜製茶各監査役、東海精機重工業社長、遠州鉱物工業組合理事長を歴任した[2]。
1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙では静岡県第3区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬し当選[2]。在任中に死去した[2][3]。
脚注
[編集]- ^ a b 衆議院事務局 1942, 16頁.
- ^ a b c d 衆議院、参議院 1962, 124頁.
- ^ a b 『官報』第5288号「帝国議会」昭和19年8月29日。
- ^ a b c 議会新聞社 1943, 100頁.
参考文献
[編集]- 『第八十回帝国議会 衆議院議員名簿 昭和十七年六月十五日現在』衆議院事務局〈衆議院公報附録〉、1942年 。
- 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。