加藤きん (看護師)
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加藤 きん(かとう きん、1890年〈明治23年〉8月12日 - 1980年〈昭和55年〉1月12日)は、日本の看護師[1][2]。
宮城県登米郡佐沼町(現・登米市)に生まれる。1911年(明治44年)に日本赤十字社宮城県支部救護看護婦養成所に入学[3]。1914年(大正3年)に卒業して、日本赤十字社中央病院の看護師(当時は「看護婦」)となる[4]。
第一次世界大戦中の1915年(大正4年)から1年間、遣仏救護班看護婦としてフランス赤十字社に派遣され、救護活動に従事し、その後はシベリア出兵の際にも傷病者の看護に当たった[3][4]。
日中戦争中は、看護婦長として赤十字病院船に乗り込み[4]、中国の上海・南京・九江などに合わせて10回派遣された[3]。
1948年(昭和23年)、日赤中央病院看護婦監督を最後に日本赤十字社を退職し、郷里の宮城県佐沼高等学校の養護教員となった[1][2]。
1953年(昭和28年)、フローレンス・ナイチンゲール記章を授与された[1][2]。