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加守田太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かもだ たろう

加守田 太郎
生誕 1963年(昭和38年)5月16日
日本の旗 日本 栃木県芳賀郡益子町
国籍 日本の旗 日本
職業 陶芸家
時代 昭和 - 平成 - 令和
活動拠点 日本の旗 日本 栃木県芳賀郡益子町
配偶者 加守田泉
父:加守田章二
母:加守田昌子
家族 弟:加守田次郎
弟:高根沢三郎(加守田三郎)
公式サイト 公式Instagram
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加守田 太郎(かもだ たろう、1963年昭和38年)[1]5月16日[2][3][4][5] - )は、日本の栃木県芳賀郡益子町の「益子焼」の陶芸家

「異才・鬼才の陶芸家」と謳われた陶芸家・加守田章二の長男である[1][6][7][8]

経歴

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1963年昭和38年[1]5月16日[2][3][4][5]、父・加守田章二と母・昌子の長男として生まれる[7][9][10]

世間からは天才鬼才の名をほしいままにしていた加守田章二であったが、太郎にとっての父・章二は、良き父であった[11]

1983年昭和58年)、父・加守田章二が早世した[6]19歳の時には東京の音響関係の専門学校に進学していたが「自分が帰らなければ」と益子に帰郷し、1985年(昭和60年)、加守田窯を継いだ[7][3][12][6][13][9]

母・昌子が「何十年ぶりか」で轆轤を引き、太郎が自分の気に入ったようにデザインし模様を付けていく。父親である章二から「陶芸を全く教わってなかった」加守田太郎の、本格的な陶芸家修行はこうして始まった[3][10]

陶芸家になるつもりもなく、陶芸にも興味がなく、幼い頃は父の仕事場で粘土を投げて遊んでいた。父の個展に行ったこともなかった。父が亡くなった後に回顧展を観て、ようやく父の仕事に触れた[9]

母・昌子から「基本は「筒」だから」と言われたので最初は筒ばかりを作っていった。そして次は自分好みのデザインの陶板を練習のつもりで何枚も作った。そしたら東京の南青山のギャラリーからいきなり個展の話が舞い込み、1986年(昭和61年)、陶板ばかりの初個展を開いた[3][9]

父・章二が遺した遠野の土や[1]、緑、青、黒の釉薬を使いながら、新しい赤色を織り交ぜ、幾何学模様を取り入れたシャープでモダンな様々な図柄を試しながら付けていく[1][14][8]。そして敢えて轆轤を使わずに手びねりで器を成形していく父・章二の手法を受け継いだ[1][7][8][15]

父・章二から薫陶を受けなかったが、それでも時折「父のやり方」がわかることがあり、父は「自分の好きなもの」を作っていたのだ、と感じるようになった。それならば「自分も好きなものを作ればいいんだ」と思うようになっていった。父と比べられることでさえも、自然体で受け流し、気負いなく淡々と、それでいて楽しそうに陶作活動を続け、「加守田太郎なりの、自分なりの作品」を作り上げていった[14][13][9]

家族

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父親は「異才の陶芸家」と呼ばれた加守田章二
母親は父・章二の「塚本製陶所」時代の同僚で、加守田太郎の実質的な師匠である加守田昌子。

弟に画家であり紙塑人形作家であり[16]工芸や彫塑も手掛ける加守田次郎と[17][18][19][20][21][22][23]、半農半陶の陶芸家である高根沢三郎(加守田三郎)[16][24][25]

妻は「濱田庄司由来の酵母」を使った益子町の移動式パン屋 「泉's Bakery」店主であり、「益子陶器市」や[26]土祭」などの[27]益子町のイベントに参加している加守田泉[28][29][30][31][32][33][34]。娘に加守田琳[35][36]がいる。

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e f 黒田和哉,図鑑日本やきもの巡り 1988, p. 54-55.
  2. ^ a b 栃木県立美術館 1986, p. 180.
  3. ^ a b c d e 益子の陶芸家,近藤京嗣 1989, p. 56.
  4. ^ a b 青木宏,益子町文化のまちづくり実行委員会 1999, p. 67.
  5. ^ a b 益子町文化のまちづくり実行委員会 2021, p. 179.
  6. ^ a b c 美しい和食器の旅,清水元彦 1996, p. 26-27.
  7. ^ a b c d 加守田太郎 茶碗 | 銀座 黒田陶苑オンラインショップ
  8. ^ a b c 一柳明宏,Discover Japan編集部 2011, p. 59.
  9. ^ a b c d e 「下野新聞」1997年(平成9年)3月30日 9面「美の誕生 58」「加守田 太郎(陶芸)」「自然体 気負いもなく」
  10. ^ a b 下野新聞社 1999, p. 58.
  11. ^ 益子のこと”. 東京民藝協会ブログ (2017年2月13日). 2022年11月11日閲覧。
  12. ^ 下野新聞社 1999, p. 58,59.
  13. ^ a b 清水元彦 1996, p. 26-27.
  14. ^ a b 下野新聞社 1999, p. 59.
  15. ^ 加守田太郎|益子焼つかもと
  16. ^ a b 民芸店ましこ - mingeitenmashiko ページ!
  17. ^ 加守田次郎個展 -硝子絵-”. 銀座 黒田陶苑 (2016年11月19日). 2023年10月8日閲覧。
  18. ^ 加守田 次郎 展”. アートサロン光玄 (2017年3月). 2023年10月8日閲覧。
  19. ^ 加守田次郎”. 楽空間 祇をん小西 (2020年11月21日). 2023年10月8日閲覧。
  20. ^ 加守田次郎さんの個展が始まります”. 銀座 黒田陶苑 (2022年2月11日). 2023年10月8日閲覧。
  21. ^ 中野中の足裏庵日記  -12-   ― 加守田次郎の感傷旅行 ―”. 高輪画廊 (2002年). 2023年10月8日閲覧。
  22. ^ 中野中の足裏庵日記(57) 加守田次郎-明日に向かう"いま"   ”. 高輪画廊 (2006年). 2023年10月8日閲覧。
  23. ^ 理想的な陶芸家像 高根沢三郎”. はんなりマンゴー (2020年10月31日). 2022年11月9日閲覧。
  24. ^ 「下野新聞」2009年(平成21年)9月20日 20面「企画 益子に吹く風 県内の若手陶芸家たち 12」「高根澤三郎(たかねざさぶろう)さん」「自然に清らかな物を」
  25. ^ 加守田泉:泉’sBakery|PEACE SPACE – 益子陶器市 2023年12月27日閲覧。
  26. ^ ウィンドウアート・レポ|堀水小夜さん2作目完成しました~”. 土祭2021 (2021年10月2日). 2023年12月27日閲覧。
  27. ^ 「朝日新聞」2015年(平成27年)6月5日 朝刊 栃木全県 28面「見ごろ食べごろ遊びごろ」「パン 益子 泉's Bakery」「移動販売 町内に笑顔」
  28. ^ 泉’sベーカリー - ゆたり
  29. ^ 益子の陶芸家に愛される移動式パン屋。濱田庄司由来の酵母を使う「泉’s Bakery」を探しに | 中川政七商店の読みもの
  30. ^ 11【土祭市場】益子はこだわりパンの町|土祭2021
  31. ^ まんぢゅう皿 その2 - 手鑑 - TEKAGAMI
  32. ^ 泉’s Bakery - 益子町のパン|栃ナビ!
  33. ^ 泉’s Bakery (@izumi_bakery) - Instagram
  34. ^ ヒジサイノート 表紙制作プロジェクト”. 土祭2021. 2022年11月9日閲覧。
  35. ^ 【11/5〜11/24】ヒジノワ「クリエイターズファイルⅡ」展”. ヒジノワ cafe&space (2021年11月5日). 2022年11月9日閲覧。

参考文献

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  • 黒田和哉 著、光芸出版編集部 編『図鑑 日本やきもの巡り』株式会社 光芸出版、1988年12月30日、54-55頁。 NCID BN03854427国立国会図書館サーチR100000002-I000001961322, R100000001-I35119410000107, R100000001-I43111128004427 
  • 近藤京嗣『益子の陶芸家』近藤京嗣(自家出版)、1989年11月1日、56頁。 NCID BA34162878国立国会図書館サーチR100000001-I09111100454281 
  • 株式会社A&A PUBLISHING代表 清水元彦 編『美しい和食器の旅 益子・笠間・会津本郷・及びその周辺』株式会社リブロポート、1996年10月2日、26-27頁。ISBN 4845710943 
  • 下野新聞社『とちぎの陶芸・益子』下野新聞社、1999年10月10日、239頁。ISBN 9784882861096 
  • 一柳明宏,Discover Japan編集部 編『ニッポンの手仕事』株式会社枻出版社、2011年8月20日、59頁。ISBN 9784777920471 
  • 小林真理『至高の名陶を訪ねる 陶芸の美』株式会社芸術新聞社、2022年8月14日、30-33頁。ISBN 9784875866503 

加守田章二関連文献

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関連項目

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外部リンク

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