劉焉 (中山王)
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劉 焉(りゅう えん、? - 90年)は、後漢の皇族。中山簡王。
経歴
[編集]光武帝と郭聖通のあいだの子として生まれた。39年(建武15年)、左翊公に封じられた。41年(建武17年)、左翊王に爵位を進めた。劉焉は郭太后の末子であったことから、洛陽にひとり留められた。54年(建武30年)、中山王に徙封された。
59年(永平2年)冬、明帝が劉焉に中山国に下向するよう命じた。明帝は劉焉が郭太后に偏愛されていることを考慮して、特別に中山国と洛陽のあいだを往来する許可を与えた。
72年(永平15年)、劉焉の夫人の韓序に過ちがあり、劉焉は彼女を縊り殺した。中山国の相が明帝に奏上すると、劉焉は罪に問われて安険県を削封された。元和年間、章帝は安険県を中山国にもどさせた。
90年(永元2年)6月辛卯[1]、劉焉は死去した。諡は簡といった。
子の劉憲が後を嗣いだ。
子女
[編集]- 中山夷王劉憲
92年(永元4年)、劉憲の弟11人が封じられて列侯となった。
脚注
[編集]伝記資料
[編集]- 『後漢書』巻42 列伝第32