劉仲威
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劉 仲威(りゅう ちゅうい、生没年不詳)は、中国の南北朝時代の官僚・歴史家。本貫は南陽郡安衆県。西晋の鎮東将軍の劉喬の九世孫にあたる。
経歴
[編集]南朝斉の荊州治中従事史の劉之遴(劉虯の子)の子として生まれた。若くして向上心があり、文学書や史書を渉猟した。梁の承聖年間に中書侍郎となった。王琳が蕭荘を梁の皇帝として擁立すると、仲威はその下で御史中丞をつとめた。陳の天嘉元年(560年)、王琳が侯瑱に蕪湖で敗戦すると、仲威は蕭荘を連れて北斉に亡命した。北斉に仕えて中散大夫となった。武平3年(572年)、文林館が立てられて文学士が集められると、仲威は入館して選書にあたった[1]。後に鄴で死去した。編著に『梁承聖中興略』10巻[2]があった。