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劉仲威

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

劉 仲威(りゅう ちゅうい、生没年不詳)は、中国南北朝時代官僚歴史家本貫南陽郡安衆県西晋の鎮東将軍の劉喬の九世孫にあたる。

経歴

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南朝斉の荊州治中従事史の劉之遴(劉虯の子)の子として生まれた。若くして向上心があり、文学書や史書を渉猟した。承聖年間に中書侍郎となった。王琳蕭荘を梁の皇帝として擁立すると、仲威はその下で御史中丞をつとめた。天嘉元年(560年)、王琳が侯瑱に蕪湖で敗戦すると、仲威は蕭荘を連れて北斉に亡命した。北斉に仕えて中散大夫となった。武平3年(572年)、文林館が立てられて文学士が集められると、仲威は入館して選書にあたった[1]。後にで死去した。編著に『梁承聖中興略』10巻[2]があった。

脚注

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  1. ^ 北斉書』文苑伝
  2. ^ 隋書』経籍志二

伝記資料

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