前間卓
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基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 佐賀県鳥栖市 |
生年月日 | 1971年9月30日(53歳) |
身長 体重 |
184 cm 74 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1989年 ドラフト3位 |
初出場 | 1996年4月5日 |
最終出場 | 1997年5月18日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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前間 卓(まえま たかし、1971年9月30日 - )は、佐賀県鳥栖市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
来歴・人物
[編集]鳥栖高では3年春に県大会決勝で9回二死までノーヒットノーラン、九州大会は準優勝[1]。当初は筑波大への進学を希望していたが、1989年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受け入団。
プロ7年目の1996年に一軍初登板、初勝利を果たし、特に前半戦は先発・リリーフにフル回転の活躍を見せた。1997年オフにトレードでロッテへの移籍が決まっていたものの「野球への情熱がなくなった」、「引退後の将来が疑問」という理由からへの移籍を拒否し現役を引退した[2]。
現在は、佐賀県鳥栖市にてTDE式頭蓋脊椎仙骨調整師として「あきぞら」を経営。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1996 | 広島 | 32 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 1 | -- | .600 | 216 | 48.2 | 47 | 3 | 26 | 0 | 1 | 30 | 2 | 1 | 22 | 21 | 3.88 | 1.50 |
1997 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 28 | 5.1 | 6 | 0 | 5 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | 7 | 7 | 11.81 | 2.06 | |
通算:2年 | 38 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 1 | -- | .600 | 244 | 54.0 | 53 | 3 | 31 | 0 | 2 | 36 | 2 | 1 | 29 | 28 | 4.67 | 1.56 |
記録
[編集]- 初登板:1996年4月5日、対中日ドラゴンズ1回戦(広島市民球場)、10回表無死に3番手として救援登板、1/3回無失点
- 初奪三振:1996年4月6日、対中日ドラゴンズ2回戦(広島市民球場)、6回表に中村武志から
- 初セーブ:1996年4月21日、対ヤクルトスワローズ3回戦(福岡ドーム)、7回裏に2番手として救援登板・完了、3回無失点
- 初先発・初勝利:1996年5月12日、対横浜ベイスターズ8回戦(広島市民球場)、5回1/3を3失点
背番号
[編集]- 38 (1990年 - 1995年)
- 47 (1996年 - 1997年)
脚注
[編集]- ^ 94スポニチプロ野球手帳
- ^ “日めくりプロ野球 2012年5月【5月12日】1996年(平8) 打撃投手転向に待った!前間卓 7年目初先発初勝利”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年5月12日) 2019年3月7日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 前間卓 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)